ては少しも異議なく喜んで細川氏に嫁すべきを誓い、婚礼の日は老先生の言うがままに来《きたる》十月二十日と定めた。鬮《くじ》は遂に残者《のこりもの》に落ちた。
 貴所からも無論老先生及細川に向て祝詞を送らるることと信ずる。

        六

 婚礼も目出度《めでた》く済んだ。田舎《いなか》は秋晴|拭《ぬぐ》うが如く、校長細川繁の庭では姉様冠《あねさまかぶり》の花嫁中腰になって張物をしている。
 さて富岡先生は十一月の末|終《つい》にこの世を辞して何国《なにくに》は名物男一人を失なった。東京の大新聞二三種に黒枠《くろわく》二十行ばかりの大きな広告が出て門人高山文輔、親戚《しんせき》細川繁、友人野上子爵等の名がずらり並んだ。
 同国の者はこの広告を見て「先生到頭死んだか」と直ぐ点頭《うなず》いたが新聞を見る多数は、何人なればかくも大きな広告を出すのかと怪むものもあり、全く気のつかぬ者もあり。
 然しこの広告が富岡先生のこの世に放った最後の一喝《いっかつ》で不平満腹の先生がせめてもの遣悶《こころやり》を知人《ちじん》に由《よ》って洩《も》らされたのである。心ある同国人の二三はこれを見て泣いた。



底本:「牛肉と馬鈴薯」新潮文庫、新潮社
   1970(昭和45年)年5月30日初版発行
   1983(昭和58年)年7月30日22刷
入力:Nana Ohbe
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年6月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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