練を加え、堅実なる有為《ゆうい》の精神としたのである。
 ともかく、彼の父は尋常《じんじょう》の人ではなかった。やはり昔の武士で、維新の戦争にも出てひとかどの功をも立てたのである。体格は骨太《ほねぶと》の頑丈《がんじょう》な作り、その顔は眼《まな》ジリ長く切れ、鼻高く一見して堂々たる容貌《ようぼう》、気象も武人気質《ぶじんかたぎ》で、容易に物に屈しない。であるからもし武人のままで押通したならば、すくなくとも藩閥《はんばつ》の力で今日《こんにち》は人にも知られた将軍になっていたかもしれない。が、彼は維新の戦争から帰るとすぐ「農」の一字に隠れてしまった。隠れたというよりか出なおしたのである。そして「殖産《しょくさん》」という流行語にかぶれてついに破産してしまった。
 桂家の屋敷は元来《もと》、町にあったのを、家運の傾むくとともにこれを小松山の下に運んで建てなおしたので、その時も僕の父などはこういっていた、あれほどのりっぱな屋敷を打壊《ぶちこわ》さないでそのまま人に譲《ゆず》り、その金でべつに建てたらよかろうと。けれども、桂正作の父の気象はこの一事《いちじ》でも解っている。小松山の麓《ふもと
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