「もし僕が西国立志編を読まなかったらどうであったろう。僕の今日あるのはまったくこの書のお蔭《かげ》だ」と。
けれども西国立志編(スマイルスの自助論《セルフヘルプ》)を読んだものは洋の東西を問わず幾百万人あるかしれないが、桂正作のように、「余《よ》を作りしものはこの書なり」と明言しうる者ははたして幾人あるだろう。
天が与えた才能からいうと桂は中位の人たるにすぎない。学校における成績も中等で、同級生のうち、彼よりも優《すぐ》れた少年はいくらもいた。また彼はかなりの腕白者《わんぱくもの》で、僕らといっしょにずいぶん荒《あば》れたものである。それで学校においても郷党《きょうとう》にあっても、とくに人から注目せられる少年ではなかった。
けれども天の与えた性質からいうと、彼は率直で、単純で、そしてどこかに圧《おさ》ゆべからざる勇猛心を持っていた。勇猛心というよりか、敢為《かんい》の気象といったほうがよかろう。すなわち一転すれば冒険心となり、再転すれば山気《やまぎ》となるのである。現《げん》に彼の父は山気のために失敗し、彼の兄は冒険のために死んだ。けれども正作は西国立志編のお蔭で、この気象に訓
前へ
次へ
全21ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング