今年の春であった。夕暮に僕は横浜|野毛町《のげまち》に桂を訪ねると、宿の者が「桂さんはまだ会社です」というから、会社の様子も見たく、その足で会社を訪《と》うた。
桂の仕事をしている場処に行ってみると、僕は電気の事を詳しく知らないから十分の説明はできないが、一本の太い鉄柱を擁《よう》して数人《すにん》の人が立っていて、正作は一人その鉄柱の周囲を幾度《いくたび》となく廻って熱心に何事かしている。もはや電燈が点《つ》いて白昼《まひる》のごとくこの一群の人を照らしている。人々は黙して正作のするところを見ている。器械に狂いの生じたのを正作が見分《けんぶん》し、修繕しているのらしい。
桂の顔、様子! 彼は無人の地にいて、我を忘れ世界を忘れ、身も魂《たましい》も、今そのなしつつある仕事に打ちこんでいる。僕は桂の容貌《ようぼう》、かくまでにまじめなるを見たことがない。見ているうちに、僕は一種の壮厳《そうごん》に打たれた。
諸君! どうか僕の友のために、杯《さかずき》をあげてくれたまえ、彼の将来を祝福して!
底本:「日本文学全集12 国木田独歩 石川啄木集」集英社
1972(昭和47)
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