やど》、夜は神田の夜学校に行って、もっぱら数学を学んでいたのである。
 日清の間が切迫してくるや、彼はすぐと新聞売りになり、号外で意外の金を儲《もう》けた。
 かくてその歳も暮れ、二十八年の春になって、彼は首尾よく工手学校の夜学部に入学しえたのである。
 かつ問いかつ聞いているうちに夕暮近くなった。
「飯《めし》を食いに行こう!」と桂は突然いって、机の抽斗《ひきだし》から手早く蟇口《がまぐち》を取りだして懐《ふところ》へ入れた。
「どこへ?」と僕は驚いて訊《たず》ねた。
「飯屋へサ」といって正作は立ちかけたので
「イヤ飯なら僕は宿屋《やど》へ帰って食うから心配しないほうがいいよ」
「まアそんなことをいわないでいっしょに食いたまえな。そして今夜はここへ泊りたまえ。まだ話がたくさん残っておる」
 僕もその意に従がい、二人して車屋を出た。路《みち》の二三丁も歩いたが、桂はその間も愉快に話しながら、国元《くにもと》のことなど聞き、今年のうちに一度|故郷《くに》に帰りたいなどいっていた。けれども僕は桂の生活の模様から察して、三百里外の故郷へ往復することのとうてい、いうべくして行なうべからざるを思
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