り歩いた。そして思いついたのは新聞売りと砂書き。九段の公園で砂書きの翁《おやじ》を見て、彼はただちにこれともの語り、事情を明して弟子入りを頼み、それより二三日の間|稽古《けいこ》をして、間もなく大道のかたわらに坐り、一銭、五厘、時には二銭を投げてもらってでたらめを書き、いくらかずつの収入を得た。
 ある日、彼は客のなきままに、自分で勝手なことを書いては消し、ワット[#「ワット」に傍線]、ステブンソン[#「ステブンソン」に傍線]、などいう名を書いていると、八歳《やッつ》ばかりの男児《おとこのこ》を連れた衣装《みなり》のよい婦人が前に立った。「ワット」と児供《こども》が読んで、「母上《かあさま》、ワットとは何のこと?」と聞いた。桂は顔を挙げて小供《こども》に解りやすいようにこの大発明家のことを話して聞かし、「坊様も大きくなったらこんな豪《えら》い人におなりなさいよ」といった。そうすると婦人が「失礼ですけれど」といいつつ二十銭銀貨を手渡して立ち去った。
「僕はその銀貨を費《つか》わないでまだ持っている」と正作はいって罪のない微笑をもらした。
 彼はかく労働している間、その宿所は木賃宿《きちん
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