る社会がつねに産出しうる人物である、また平凡なる社会がつねに要求する人物である。であるから桂のような人物が一人|殖《ふ》えればそれだけ社会が幸福なのである。僕の桂に感心するのはこの意味においてである。また僕が桂をば非凡なる凡人と評するのもこのゆえである。
 僕らがまだ小学校に通っている時分であった。ある日、その日は日曜で僕は四五人の学校仲間と小松山《こまつやま》へ出かけ、戦争の真似《まね》をして、我こそ秀吉だとか義経だとか、十三四にもなりながらばかげた腕白《わんぱく》を働らいて大あばれに荒《あば》れ、ついに喉《のど》が渇《かわ》いてきたので、山のすぐ麓《ふもと》にある桂正作の家の庭へ、裏山からドヤドヤと駈下《かけお》りて、案内も乞《こ》わず、いきなり井戸辺《いどばた》に集まって我がちにと水を汲《く》んで呑《の》んだ。
 すると二階の窓から正作が顔を出してこっちを見ている。僕はこれを見るや
「来ないか」と呼んだ。けれどもいつにないまじめくさった顔つきをして頭を横に振った。腕白のほうでも人並のことをしてのける桂正作、不思議と出てこないので、僕らもしいては誘わず、そのまままた山に駈登ってしま
前へ 次へ
全21ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング