しろ温泉《をんせん》は惡《わる》くない。少《すくな》くとも此處《こゝ》の、此家《このや》の温泉《をんせん》は惡《わる》くない。
 森閑《しんかん》とした浴室《ゆどの》、長方形《ちやうはうけい》の浴槽《ゆぶね》、透明《すきとほ》つて玉《たま》のやうな温泉《いでゆ》、これを午後《ごゝ》二|時頃《じごろ》獨占《どくせん》して居《を》ると、くだらない實感《じつかん》からも、夢《ゆめ》のやうな妄想《まうざう》からも脱却《だつきやく》して了《しま》ふ。浴槽《ゆぶね》の一|端《たん》へ後腦《こうなう》を乘《のせ》て一|端《たん》へ爪先《つまさき》を掛《かけ》て、ふわりと身《み》を浮《うか》べて眼《め》を閉《つぶ》る。時《とき》に薄目《うすめ》を開《あけ》て天井際《てんじやうぎは》の光線窓《あかりまど》を見《み》る。碧《みどり》に煌《きら》めく桐《きり》の葉《は》の半分《はんぶん》と、蒼々《さう/\》無際限《むさいげん》の大空《おほぞら》が見《み》える。老人《らうじん》なら南無阿彌陀佛《なむあみだぶつ》/\と口《くち》の中《うち》で唱《とな》へる所《ところ》だ。老人《らうじん》でなくとも此《この》心持
前へ 次へ
全11ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング