ボズさんのあじろ[#「あじろ」に傍点]の一《ひとつ》で、足場《あしば》はボズさんが作《つく》つた事《こと》、東京《とうきやう》の客《きやく》が連《つ》れて行《ゆ》けといふから一緒《いつしよ》に出《で》ると下手《へた》の癖《くせ》に釣《つ》れないと怒《おこ》つて直《す》ぐ止《よ》す事《こと》、釣《つ》れないと言《い》つて怒《おこ》る奴《やつ》が一|番《ばん》馬鹿《ばか》だといふ事《こと》、温泉《をんせん》に來《く》る東京《とうきやう》の客《きやく》には斯《か》ういふ馬鹿《ばか》が多《おほ》い事《こと》、魚《うを》でも生命《いのち》は惜《をし》いといふ事《こと》等《とう》であつた。
其日《そのひ》はそれで別《わか》れ、其後《そのご》は互《たがひ》に誘《さそ》ひ合《あ》つて釣《つり》に出掛《でかけ》て居《ゐ》たが、ボズさんの家《うち》は一|室《ま》しかない古《ふる》い茅屋《わらや》で其處《そこ》へ獨《ひとり》でわびしげ[#「わびしげ」に傍点]に住《す》んで居《ゐ》たのである。何《なん》でも無遠慮《ぶゑんりよ》に話《はな》す老人《らうじん》が身《み》の上《うへ》の事《こと》は成《な》る可《べ》く避《さ》けて言《い》はないやうにして居《ゐ》た。けれど遠《とほ》まはしに聞《き》き出《だ》した處《ところ》によると、田之浦《たのうら》の者《もの》で倅夫婦《せがれふうふ》は百姓《ひやくしやう》をして可《か》なりの生活《くらし》をして居《ゐ》るが、其《その》夫婦《ふうふ》のしうち[#「しうち」に傍点]が氣《き》に喰《くは》ぬと言《い》つて十|何年《なんねん》も前《まへ》から一人《ひとり》で此處《こゝ》に住《す》んで居《ゐ》るらしい、そして倅《せがれ》から食《く》ふだけの仕送《しおく》りを爲《し》て貰《もら》つてる樣子《やうす》である。成程《なるほど》さう言《い》へば何處《どこ》か固拗《かたくな》のところもあるが、僕《ぼく》の思《おも》ふには最初《さいしよ》は頑固《ぐわんこ》で行《や》つたのながら後《のち》には却《かへ》つて孤獨《こどく》のわび住《ずま》ひが氣樂《きらく》になつて來《き》たのではあるまいか。世《よ》を遁《の》がれた人《ひと》の趣《おもむき》があるのは其《その》理由《わけ》であらう。
其處《そこ》で僕《ぼく》は昨日《きのふ》チエホフ[#「チエホフ」に傍線]の『ブラツクモ
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