《こゝろもち》は同《おな》じである。
 居室《へや》に歸《かへ》つて見《み》ると、ちやんと整頓《かたづい》て居《ゐ》る。出《で》る時《とき》は書物《しよもつ》やら反古《ほご》やら亂雜《らんざつ》極《きは》まつて居《ゐ》たのが、物《もの》各々《おの/\》所《ところ》を得《え》て靜《しづ》かに僕《ぼく》を待《まつ》て居《ゐ》る。ごろりと轉《ころ》げて大《だい》の字《じ》なり、坐團布《ざぶとん》を引寄《ひきよ》せて二《ふた》つに折《をつ》て枕《まくら》にして又《また》も手當次第《てあたりしだい》の書《ほん》を讀《よ》み初《はじ》める。陶淵明《たうえんめい》の所謂《いはゆ》る「不[#レ]求[#二]甚解[#一]」位《くらゐ》は未《ま》だ可《よ》いが時《とき》に一ページ讀《よ》むに一|時間《じかん》もかゝる事《こと》がある。何故《なぜ》なら全然《まる》で他《ほか》の事《こと》を考《かんが》へて居《ゐ》るからである。昨日《きのふ》も君《きみ》の送《おく》つて呉《く》れたチエホフの短篇集《たんぺんしふ》を讀《よ》んで居《ゐ》ると、ツイ何時《いつ》の間《ま》にか「ボズ」さんの事《こと》を考《かんが》へ出《だ》した。
 ボズさんの本名《ほんみやう》は權十《ごんじふ》とか五|郎兵衞《ろべゑ》とかいふのだらうけれど、此《この》土地《とち》の者《もの》は唯《た》だボズさんと呼《よ》び、本人《ほんにん》も平氣《へいき》で返事《へんじ》をして居《ゐ》た。
 此《この》以前《いぜん》僕《ぼく》が此處《こゝ》へ來《き》た時《とき》の事《こと》である、或日《あるひ》の午後《ひるすぎ》僕《ぼく》は溪流《たにがは》の下流《しも》で香魚釣《あゆつり》を行《や》つて居《ゐ》たと思《おも》ひ玉《たま》へ。其《その》場所《ばしよ》が全《まつ》たく僕《ぼく》の氣《き》に入《い》つたのである、後背《うしろ》の崕《がけ》からは雜木《ざふき》が枝《えだ》を重《かさ》ね葉《は》を重《かさ》ねて被《おほ》ひかゝり、前《まへ》は可《かな》り廣《ひろ》い澱《よどみ》が靜《しづか》に渦《うづ》を卷《まい》て流《なが》れて居《ゐ》る。足場《あしば》はわざ/\作《つく》つた樣《やう》に思《おも》はれる程《ほど》、具合《ぐあひ》が可《い》い。此處《こゝ》を發見《みつけ》た時《とき》、僕《ぼく》は思《おも》つた此處《こゝ》で釣《つ》るなら
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