。忽《たちま》ちラツパを勇《いさ》ましく吹《ふ》き立《た》てゝ車《くるま》は傾斜《けいしや》を飛《と》ぶやうに滑《すべ》る。空《そら》は名殘《なごり》なく晴《は》れた。海風《かいふう》は横《よこ》さまに窓《まど》を吹《ふ》きつける。顧《かへり》みると町《まち》の旅館《りよかん》の旗《はた》が竿頭《かんとう》に白《しろ》く動《うご》いて居《を》る。
僕《ぼく》は頭《かしら》を轉《てん》じて行手《ゆくて》を見《み》た。すると軌道《レール》に沿《そ》ふて三|人《にん》、田舍者《ゐなかもの》が小田原《をだはら》の城下《じやうか》へ出《で》るといふ旅裝《いでたち》、赤《あか》く見《み》えるのは娘《むすめ》の、白《しろ》く見《み》えるのは老母《らうぼ》の、からげた腰《こし》も頑丈《ぐわんぢやう》らしいのは老父《おやぢ》さんで、人車《じんしや》の過《す》ぎゆくのを避《さ》ける積《つも》りで立《た》つて此方《こつち》を向《む》いて居《ゐ》る。『オヤお絹《きぬ》!』と思《おも》ふ間《ま》もなく車《くるま》は飛《と》ぶ、三|人《にん》は忽《たちま》ち窓《まど》の下《した》に來《き》た。
『お絹《きぬ》さん!』と僕《ぼく》は思《おも》はず手《て》を擧《あ》げた。お絹《きぬ》はにつこり笑《わら》つて、さつと顏《かほ》を赤《あか》めて、禮《れい》をした。人《ひと》と車《くるま》との間《あひだ》は見《み》る/\遠《とほ》ざかつた。
若《も》し同車《どうしや》の人《ひと》が無《な》かつたら僕《ぼく》は地段駄《ぢだんだ》を踏《ふ》んだらう、帽子《ばうし》を投《な》げつけたゞらう。僕《ぼく》と向《む》き合《あ》つて、眞面目《まじめ》な顏《かほ》して居《ゐ》る役人《やくにん》らしい先生《せんせい》が居《ゐ》るではないか、僕《ぼく》は唯《た》だがつかりして手《て》を拱《こま》ぬいてしまつた。
言《い》はでも知《し》るお絹《きぬ》は最早《もはや》中西屋《なかにしや》に居《ゐ》ないのである、父母《ふぼ》の家《いへ》に歸《かへ》り、嫁入《よめいり》の仕度《したく》に取《と》りかゝつたのである。昨年《さくねん》の夏《なつ》も他《た》の女中《ぢよちゆう》から小田原《をだはら》のお婿《むこ》さんなど嬲《なぶ》られて居《ゐ》たのを自分《じぶん》は知《し》つて居《ゐ》る、あゝ愈々《いよ/\》さうだ! と思《おも》ふと僕《ぼく》は慊《いや》になつてしまつた。一口《ひとくち》に言《い》へば、海《うみ》も山《やま》もない、沖《おき》の大島《おほしま》、彼《あ》れが何《なん》だらう。大浪《おほなみ》小浪《こなみ》の景色《けしき》、何《なん》だ。今《いま》の今《いま》まで僕《ぼく》をよろこばして居《ゐ》た自然《しぜん》は、忽《たちま》ちの中《うち》に何《なん》の面白味《おもしろみ》もなくなつてしまつた。僕《ぼく》とは他人《たにん》になつてしまつた。
湯原《ゆがはら》の温泉《をんせん》は僕《ぼく》になじみ[#「なじみ」に傍点]の深《ふか》い處《ところ》であるから、たとひお絹《きぬ》が居《ゐ》ないでも僕《ぼく》に取《と》つて興味《きようみ》のない譯《わけ》はない、然《しか》し既《すで》にお絹《きぬ》を知《し》つた後《のち》の僕《ぼく》には、お絹《きぬ》の居《ゐ》ないことは寧《むし》ろ不愉快《ふゆくわい》の場所《ばしよ》となつてしまつたのである。不愉快《ふゆくわい》の人車《じんしや》に搖《ゆ》られて此《こ》の淋《さ》びしい溪間《たにま》に送《おく》り屆《とゞ》けられることは、頗《すこぶ》る苦痛《くつう》であつたが、今更《いまさら》引返《ひきか》へす事《こと》も出來《でき》ず、其日《そのひ》の午後《ごゝ》五|時頃《じごろ》、此宿《このやど》に着《つ》いた。突然《とつぜん》のことであるから宿《やど》の主人《あるじ》を驚《おどろ》かした。主人《あるじ》は忠實《ちゆうじつ》な人《ひと》であるから、非常《ひじやう》に歡迎《くわんげい》して呉《く》れた。湯《ゆ》に入《はひ》つて居《ゐ》ると女中《ぢよちゆう》の一人《ひとり》が來《き》て、
『小山《こやま》さんお氣《き》の毒《どく》ですね。』
『何故《なぜ》?』
『お絹《きぬ》さんは最早《もう》居《ゐ》ませんよ、』と言《い》ひ捨《す》てゝばた/\と逃《に》げて去《い》つた。哀《あは》れなる哉《かな》、これが僕《ぼく》の失戀《しつれん》の弔詞《てうじ》である! 失戀《しつれん》?、失戀《しつれん》が聞《き》いてあきれる。僕《ぼく》は戀《こひ》して居《ゐ》たのだらうけれども、夢《ゆめ》に、實《じつ》に夢《ゆめ》にもお絹《きぬ》をどうしやうといふ事《こと》はなかつた、お絹《きぬ》も亦《ま》た、僕《ぼく》を憎《に》くからず思《おも》つて居《ゐ》たらう、決《けつ》して其《それ》以上《いじやう》のことは思《おも》はなかつたに違《ちが》ひない。
處《ところ》が其夜《そのよ》、女中《ぢよちゆう》[#「女中《ぢよちゆう》」は底本では「女中《ぢうちゆう》」]どもが僕《ぼく》の部屋《へや》に集《あつま》つて、宿《やど》の娘《むすめ》も來《き》た。お絹《きぬ》の話《はなし》が出《で》て、お絹《きぬ》は愈々《いよ/\》小田原《をだはら》に嫁《よめ》にゆくことに定《き》まつた一|條《でう》を聞《き》かされた時《とき》の僕《ぼく》の心持《こゝろもち》、僕《ぼく》の運命《うんめい》が定《さだま》つたやうで、今更《いまさら》何《なん》とも言《い》へぬ不快《ふくわい》でならなかつた。しからば矢張《やはり》失戀《しつれん》であらう! 僕《ぼく》はお絹《きぬ》を自分《じぶん》の物《もの》、自分《じぶん》のみを愛《あい》すべき人《ひと》と、何時《いつ》の間《ま》にか思込《おもひこ》んで居《ゐ》たのであらう。
土産物《みやげもの》は女中《ぢよちゆう》や娘《むすめ》に分配《ぶんぱい》してしまつた。彼等《かれら》は確《たし》かによろこんだ、然《しか》し僕《ぼく》は嬉《うれ》しくも何《なん》ともない。
翌日《よくじつ》は雨《あめ》、朝《あさ》からしよぼ/\と降《ふ》つて陰鬱《いんうつ》極《きは》まる天氣《てんき》。溪流《けいりう》の水《みづ》増《ま》してザア/\と騷々《さう/″\》しいこと非常《ひじやう》。晝飯《ひるめし》に宿《やど》の娘《むすめ》が給仕《きふじ》に來《き》て、僕《ぼく》の顏《かほ》を見《み》て笑《わら》ふから、僕《ぼく》も笑《わら》はざるを得《え》ない。
『貴所《あなた》はお絹《きぬ》に逢《あ》ひたくつて?』
『可笑《をか》しい事《こと》を言《い》ひますね、昨年《さくねん》あんなに世話《せわ》になつた人《ひと》に會《あ》ひたいのは當然《あたりまへ》だらうと思《おも》ふ。』
『逢《あ》はして上《あ》げましようか?』
『難有《ありがた》いね、何分《なにぶん》宜《よろ》しく。』
『明日《あした》きつとお絹《きぬ》さん宅《うち》へ來《き》ますよ。』
『來《き》たら宜《よろ》しく被仰《おつしやつ》て下《くだ》さい、』と僕《ぼく》が眞實《ほんたう》にしないので娘《むすめ》は默《だま》つて唯《た》だ笑《わら》つて居《ゐ》た。お絹《きぬ》は此娘《このむすめ》と從姉妹《いとこどうし》なのである。
午後《ごゝ》は降《ふ》り止《や》んだが晴《は》れさうにもせず雲《くも》は地《ち》を這《は》ふようにして飛《と》ぶ、狹《せま》い溪《たに》は益々《ます/\》狹《せま》くなつて、僕《ぼく》は牢獄《らうごく》にでも坐《すわ》つて居《ゐ》る氣《き》。坐敷《ざしき》に坐《すわ》つたまゝ爲《す》る事《こと》もなく茫然《ぼんやり》と外《そと》を眺《なが》めて居《ゐ》たが、ちらと僕《ぼく》の眼《め》を遮《さへぎ》つて直《す》ぐ又《また》隣家《もより》の軒先《のきさき》で隱《かく》れてしまつた者《もの》がある。それがお絹《きぬ》らしい。僕《ぼく》は直《す》ぐ外《そと》に出《で》た。
石《いし》ばかりごろ/\した往來《わうらい》の淋《さび》しさ。僅《わづか》に十|軒《けん》ばかりの温泉宿《をんせんやど》。其外《そのほか》の百|姓家《しやうや》とても數《かぞ》える計《ばか》り、物《もの》を商《あきな》ふ家《いへ》も準《じゆん》じて幾軒《いくけん》もない寂寞《せきばく》たる溪間《たにま》! この溪間《たにま》が雨雲《あまぐも》に閉《とざ》されて見《み》る物《もの》悉《こと/″\》く光《ひかり》を失《うしな》ふた時《とき》の光景《くわうけい》を想像《さう/″\》し給《たま》へ。僕《ぼく》は溪流《けいりう》に沿《そ》ふて此《この》淋《さび》しい往來《わうらい》を當《あて》もなく歩《あ》るいた。流《ながれ》を下《くだ》つて行《ゆ》くも二三|丁《ちやう》、上《のぼ》れば一|丁《ちやう》、其中《そのなか》にペンキで塗つた橋《はし》がある、其間《そのあひだ》を、如何《どん》な心地《こゝち》で僕《ぼく》はぶらついた[#「ぶらついた」に傍点]らう。温泉宿《をんせんやど》の欄干《らんかん》に倚《よ》つて外《そと》を眺《なが》めて居《ゐ》る人《ひと》は皆《み》な泣《な》き出《だ》しさうな顏付《かほつき》をして居《ゐ》る、軒先《のきさき》で小供《こども》を負《しよつ》て居《ゐ》る娘《むすめ》は病人《びやうにん》のやうで背《せ》の小供《こども》はめそ/\と泣《な》いて居《ゐ》る。陰鬱《いんうつ》! 屈托《くつたく》! 寂寥《せきれう》! そして僕《ぼく》の眼《め》には何處《どこ》かに悲慘《ひさん》の影《かげ》さへも見《み》えるのである。
お絹《きぬ》には出逢《であ》はなかつた。當《あた》り前《まへ》である。僕《ぼく》は其《その》翌日《よくじつ》降《ふ》り出《だ》しさうな空《そら》をも恐《おそ》れず十國峠《じつこくたうげ》へと單身《たんしん》宿《やど》を出《で》た。宿《やど》の者《もの》は總《そう》がゝりで止《と》めたが聞《き》かない、伴《とも》を連《つ》れて行《ゆ》けと勸《すゝ》めても謝絶《しやぜつ》。山《やま》は雲《くも》の中《なか》、僕《ぼく》は雲《くも》に登《のぼ》る積《つも》りで遮二無二《しやにむに》登《のぼ》つた。
僕《ぼく》は今日《けふ》まで斯《こ》んな凄寥《せいれう》たる光景《くわうけい》に出遇《であ》つたことはない。足《あし》の下《した》から灰色《はひいろ》の雲《くも》が忽《たちま》ち現《あら》はれ、忽《たちま》ち消《き》える。草原《くさはら》をわたる風《かぜ》は物《もの》すごく鳴《な》つて耳《みゝ》を掠《かす》める、雲《くも》の絶間絶間《たえま/\》から見《み》える者《もの》は山又山《やままたやま》。天地間《てんちかん》僕《ぼく》一|人《にん》、鳥《とり》も鳴《な》かず。僕《ぼく》は暫《しば》らく絶頂《ぜつちやう》の石《いし》に倚《よ》つて居《ゐ》た。この時《とき》、戀《こひ》もなければ失戀《しつれん》もない、たゞ悽愴《せいさう》の感《かん》に堪《た》えず、我生《わがせい》の孤獨《こどく》を泣《な》かざるを得《え》なかつた。
歸路《かへり》に眞闇《まつくら》に繁《しげ》つた森《もり》の中《なか》を通《とほ》る時《とき》、僕《ぼく》は斯《こ》んな事《こと》を思《おも》ひながら歩《あ》るいた、若《も》し僕《ぼく》が足《あし》を蹈《ふ》み滑《す》べらして此溪《このたに》に落《お》ちる、死《し》んでしまう、中西屋《なかにしや》では僕《ぼく》が歸《かへ》らぬので大騷《おほさわ》ぎを初《はじ》める、樵夫《そま》を※[#「にんべん+就」、第3水準1−14−40]《やと》ふて僕《ぼく》を索《さが》す、此《この》暗《くら》い溪底《たにそこ》に僕《ぼく》の死體《したい》が横《よこたは》つて居《ゐ》る、東京《とうきやう》へ電報《でんぱう》を打《う》つ、君《きみ》か淡路君《あはぢくん》か飛《と》んで來《く》る、そして僕《ぼく》は燒《や》かれてしまう。天地間《てんちかん》最早《もはや》小山某《こやまなにがし》といふ畫《ゑ》かきの書
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