め》と從姉妹《いとこどうし》なのである。
午後《ごゝ》は降《ふ》り止《や》んだが晴《は》れさうにもせず雲《くも》は地《ち》を這《は》ふようにして飛《と》ぶ、狹《せま》い溪《たに》は益々《ます/\》狹《せま》くなつて、僕《ぼく》は牢獄《らうごく》にでも坐《すわ》つて居《ゐ》る氣《き》。坐敷《ざしき》に坐《すわ》つたまゝ爲《す》る事《こと》もなく茫然《ぼんやり》と外《そと》を眺《なが》めて居《ゐ》たが、ちらと僕《ぼく》の眼《め》を遮《さへぎ》つて直《す》ぐ又《また》隣家《もより》の軒先《のきさき》で隱《かく》れてしまつた者《もの》がある。それがお絹《きぬ》らしい。僕《ぼく》は直《す》ぐ外《そと》に出《で》た。
石《いし》ばかりごろ/\した往來《わうらい》の淋《さび》しさ。僅《わづか》に十|軒《けん》ばかりの温泉宿《をんせんやど》。其外《そのほか》の百|姓家《しやうや》とても數《かぞ》える計《ばか》り、物《もの》を商《あきな》ふ家《いへ》も準《じゆん》じて幾軒《いくけん》もない寂寞《せきばく》たる溪間《たにま》! この溪間《たにま》が雨雲《あまぐも》に閉《とざ》されて見《み》る物《もの》悉《こと/″\》く光《ひかり》を失《うしな》ふた時《とき》の光景《くわうけい》を想像《さう/″\》し給《たま》へ。僕《ぼく》は溪流《けいりう》に沿《そ》ふて此《この》淋《さび》しい往來《わうらい》を當《あて》もなく歩《あ》るいた。流《ながれ》を下《くだ》つて行《ゆ》くも二三|丁《ちやう》、上《のぼ》れば一|丁《ちやう》、其中《そのなか》にペンキで塗つた橋《はし》がある、其間《そのあひだ》を、如何《どん》な心地《こゝち》で僕《ぼく》はぶらついた[#「ぶらついた」に傍点]らう。温泉宿《をんせんやど》の欄干《らんかん》に倚《よ》つて外《そと》を眺《なが》めて居《ゐ》る人《ひと》は皆《み》な泣《な》き出《だ》しさうな顏付《かほつき》をして居《ゐ》る、軒先《のきさき》で小供《こども》を負《しよつ》て居《ゐ》る娘《むすめ》は病人《びやうにん》のやうで背《せ》の小供《こども》はめそ/\と泣《な》いて居《ゐ》る。陰鬱《いんうつ》! 屈托《くつたく》! 寂寥《せきれう》! そして僕《ぼく》の眼《め》には何處《どこ》かに悲慘《ひさん》の影《かげ》さへも見《み》えるのである。
お絹《きぬ》には出逢《であ》はなかつた。當《あた》り前《まへ》である。僕《ぼく》は其《その》翌日《よくじつ》降《ふ》り出《だ》しさうな空《そら》をも恐《おそ》れず十國峠《じつこくたうげ》へと單身《たんしん》宿《やど》を出《で》た。宿《やど》の者《もの》は總《そう》がゝりで止《と》めたが聞《き》かない、伴《とも》を連《つ》れて行《ゆ》けと勸《すゝ》めても謝絶《しやぜつ》。山《やま》は雲《くも》の中《なか》、僕《ぼく》は雲《くも》に登《のぼ》る積《つも》りで遮二無二《しやにむに》登《のぼ》つた。
僕《ぼく》は今日《けふ》まで斯《こ》んな凄寥《せいれう》たる光景《くわうけい》に出遇《であ》つたことはない。足《あし》の下《した》から灰色《はひいろ》の雲《くも》が忽《たちま》ち現《あら》はれ、忽《たちま》ち消《き》える。草原《くさはら》をわたる風《かぜ》は物《もの》すごく鳴《な》つて耳《みゝ》を掠《かす》める、雲《くも》の絶間絶間《たえま/\》から見《み》える者《もの》は山又山《やままたやま》。天地間《てんちかん》僕《ぼく》一|人《にん》、鳥《とり》も鳴《な》かず。僕《ぼく》は暫《しば》らく絶頂《ぜつちやう》の石《いし》に倚《よ》つて居《ゐ》た。この時《とき》、戀《こひ》もなければ失戀《しつれん》もない、たゞ悽愴《せいさう》の感《かん》に堪《た》えず、我生《わがせい》の孤獨《こどく》を泣《な》かざるを得《え》なかつた。
歸路《かへり》に眞闇《まつくら》に繁《しげ》つた森《もり》の中《なか》を通《とほ》る時《とき》、僕《ぼく》は斯《こ》んな事《こと》を思《おも》ひながら歩《あ》るいた、若《も》し僕《ぼく》が足《あし》を蹈《ふ》み滑《す》べらして此溪《このたに》に落《お》ちる、死《し》んでしまう、中西屋《なかにしや》では僕《ぼく》が歸《かへ》らぬので大騷《おほさわ》ぎを初《はじ》める、樵夫《そま》を※[#「にんべん+就」、第3水準1−14−40]《やと》ふて僕《ぼく》を索《さが》す、此《この》暗《くら》い溪底《たにそこ》に僕《ぼく》の死體《したい》が横《よこたは》つて居《ゐ》る、東京《とうきやう》へ電報《でんぱう》を打《う》つ、君《きみ》か淡路君《あはぢくん》か飛《と》んで來《く》る、そして僕《ぼく》は燒《や》かれてしまう。天地間《てんちかん》最早《もはや》小山某《こやまなにがし》といふ畫《ゑ》かきの書
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