《やく》を持《もつ》て居《ゐ》たのである。
『どうせ待《ま》つなら品川《しながは》で待《ま》ちましようか、同《おな》じことでも前程《さき》へ行《い》つて居《ゐ》る方《はう》が氣持《きもち》が可《い》いから』
と自分《じぶん》がいふと
『ハア、如何《どう》でも。』
 其處《そこ》で國府津《こふづ》までの切符《きつぷ》を買《か》ひ、品川《しながは》まで行《ゆ》き、其《その》プラツトホームで一|時間《じかん》以上《いじやう》も待《ま》つことゝなつた。十一|時頃《じごろ》から熱《ねつ》が出《で》て來《き》たので自分《じぶん》はプラツトホームの眞中《まんなか》に設《まう》けある四|方《はう》硝子張《がらすばり》の待合室《まちあひしつ》に入《はひ》つて小《ちひ》さくなつて居《ゐ》ると呑氣《のんき》なる義母《おつかさん》はそんな事《こと》とは少《すこ》しも御存知《ごぞんじ》なく待合室《まちあひしつ》を出《で》て見《み》たり入《はひ》つて見《み》たり、煙草《たばこ》を喫《すつ》て見《み》たり、自分《じぶん》が折《を》り折り話《はな》しかけても只《た》だ『ハア』『そう』と答《こた》へらるゝだけで、沈々《ちん/\》默々《もく/\》、空々《くう/\》漠々《ばく/\》、三日でも斯《か》うして待《ま》ちますよといはぬ計《ばか》り、悠然《いうぜん》、泰然《たいぜん》、茫然《ばうぜん》、呆然《ぼうぜん》たるものであつた。其中《そのうち》漸《やうや》く神戸《かうべ》行《ゆき》が新橋《しんばし》から來《き》た。特《とく》に國府津《こふづ》止《どまり》の箱《はこ》が三四|輛《りやう》連結《れんけつ》してあるので紅帽《あかばう》の注意《ちゆうい》を幸《さいはひ》にそれに乘《の》り込《こ》むと果《はた》して同乘者《どうじようしや》は老人夫婦《らうじんふうふ》きりで頗《すこぶ》る空《すい》て居《ゐ》た、待《ま》ち疲《くたび》れたのと、熱《ねつ》の出《で》たのとで少《すく》なからず弱《よわつ》て居《ゐ》る身體《からだ》をドツかと投《な》げ下《おろ》すと眼がグラついて思《おも》はずのめり[#「のめり」に傍点]さうにした。
 前夜《ぜんや》の雨《あめ》が晴《はれ》て空《そら》は薄雲《うすぐも》の隙間《あひま》から日影《ひかげ》が洩《もれ》ては居《ゐ》るものゝ梅雨《つゆ》季《どき》は爭《あらそ》はれず、天際《てんさ
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