着き顔色を変えて眼をぎょろぎょろさしているのを見て、にやり笑った。お源は又た早くもこれを看取《みてと》りお徳の顔を睨《にら》みつけた。お徳はこう睨みつけられたとなると最早《もう》喧嘩《けんか》だ、何か甚《ひど》い皮肉を言いたいがお清が傍《そば》に居るので辛棒していると十八九になる増屋の御用聞が木戸の方から入て来た。増屋とは昨夜《ゆうべ》磯吉が炭を盗んだ店である。
「皆様《みなさん》お早う御座います」と挨拶するや、昨日《きのう》まで戸外《そと》に並べてあった炭俵が一個《ひとつ》見えないので「オヤ炭は何処《どっか》へ片附けたのですか」
お徳は待ってたという調子で
「あア悉皆《みんな》内へ入《いれ》ちゃったよ。外へ置くとどうも物騒だからね。今の高価《たか》い炭を一片《ひときれ》だって盗られちゃ馬鹿々々しいやね」とお源を見る、お清はお徳を睨む、お源は水を汲んで二歩《ふたあし》三歩《みあし》歩るき出したところであった。
「全く物騒ですよ、私《わたし》の店《ところ》では昨夜《ゆうべ》当到《とうとう》一俵盗すまれました」
「どうして」とお清が問うた。
「戸外《そと》に積んだまま、平時《いつも》放下《うっちゃ》って置くからです」
「何炭《なに》を盗られたの」とお徳は執着《しゅうね》くお源を見ながら聞いた。
「上等の佐倉炭《さくら》です」
お源はこれ等の問答を聞きながら、歯を喰いしばって、踉蹌《よろめ》いて木戸の外に出た。
土間に入るやバケツを投《ほう》るように置いて大急ぎで炭俵の口を開けて見た。
「まア佐倉炭《さくら》だよ!」と思わず叫んだ。
お徳は老母からも細君からも、みっしり叱《しか》られた。お清は日の暮になってもお源の姿が見えないので心配して御気慊《ごきげん》取りと風邪見舞とを兼ねてお源を訪《たず》ねた。内が余り寂然《ひっそり》しておるので「お源さん、お源さん」と呼んでみた。返事がないので可恐々々《こわごわ》ながら障子戸を開けるとお源は炭俵を脚継《あしつぎ》にしたらしく土間の真中《まんなか》の梁《はり》へ細帯をかけて死でいた。
二日|経《た》って竹の木戸が破壊《こわ》された。そして生垣《いけがき》が以前《もと》の様《さま》に復帰《かえ》った。
それから二月|経過《たつ》と磯吉はお源と同年輩《おなじとしごろ》の女を女房に持って、渋谷村に住んでいたが、矢張《やはり》豚小屋同然の住宅《すまい》であった。
底本:「牛肉と馬鈴薯・酒中日記」新潮文庫、新潮社
1970(昭和45)年5月30日初版発行
1983(昭和58)年7月30日22刷
※「促急込《せきこ》んで」と「急促込《せきこ》んで」の混在は底本通りにしました。
入力:Nana Ohbe
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年6月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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