全体磯吉は無口の男で又た口の利《き》きようも下手《へた》だがどうかすると啖火交《たんかまじ》りで今のように威勢の可い物の言い振《ぶり》をすることもある、お源にはこれが頗《すこぶ》る嬉《うれ》しかったのである。然しお源には連添《つれそっ》てから足掛三年にもなるが未だ磯吉は怠惰者《なまけもの》だか働人《はたらきにん》だか判断が着かんのである。東京女の気まぐれ者にはそれで済《すん》でゆくので、三日も四日も仕事を休む、どうかすると十日も休む、けれどサアとなれば人三倍も働くのが宅《うち》の磯|様《さん》だと心得ている、だからサアとなれば困りや仕ないと信じている。然し何処《どこ》まで行ったらその「サア」だかそんなことはお源も考えたことはない。又たお源は磯さんはイザとなれば随分人の出来ない思きった大胆なことをする男だと頼《たの》もしがっている。けれどそうばかし思えんこともある。その実案外|意久地《いくじ》のない男かしらと思う場合もあるが、それは一文なしになって困り抜《ぬい》た時などで、そう思うと情《なさけ》なくなるからなるべくそれは自分で打消していたのである。
 実際磯吉は所謂《いわゆ》る「解らん男」で、大庭の女連《おんなれん》は何となく薄気味《うすきび》悪く思っていた。だからお徳までが磯には憚《はばか》る風がある。これがお源には言うに言われない得意なので、お徳がこの風を見せた時、お清が磯に丁寧な言葉を使った時など嬉《うれし》さが込上げて来るのであった。
 それで結極のべつ貧乏の仕飽《しあき》をして、働き盛りでありながら世帯らしい世帯も持たず、何時《いつ》も物置か古倉の隅《すみこ》のような所ばかりに住んでいる、従ってお源も何時しか植木屋の女房連《かかあれん》から解らん女だ、つまり馬鹿だとせられていたのだ。
 磯吉の食事《めし》が済むとお源は笊《ざる》を持て駈出《かけだ》して出たが、やがて量炭《はかりずみ》を買て来て、火を起しながら今日お徳と木戸のことで言いあったこと、旦那が木戸を見て言った言葉などをべらべら喋舌《しゃべっ》て聞かしたが、磯は「そうか」とも言わなかった。
 そのうち磯が眠そうに大欠伸《おおあくび》をしたので、お源は垢染《あかじみ》た煎餅布団《せんべいぶとん》を一枚敷いて一枚|被《か》けて二人一緒に一個身体《ひとつからだ》のようになって首を縮めて寝て了った。壁の隙間
前へ 次へ
全17ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング