げ》は學校《がくかう》に見《み》えない。
四五日《しごにち》も經《た》つと此事《このこと》が忽《たちま》ち親父《おやぢ》の耳《みゝ》に入《はひ》つた。親父《おやぢ》は眞赤《まつか》になつて怒《おこ》つた、店にあるだけの櫻《さくら》の木の皮を剥《むか》せ(な脱カ)ければ承知《しようち》しないと力味《りきん》で見《み》たが、さて一向《いつかう》に效果《きゝめ》がない。少年《こども》は平氣で
『私《わたし》は是非《ぜひ》怠惰屋《なまけや》になるのだ、是非《ぜひ》なるのだ』と言張《いひは》つて聽《き》かない。櫻《さくら》の皮《かは》を剥《む》くどころか、家《いへ》の隅《すみ》の方《はう》へすつこん[#「すつこん」に傍点]で了《しま》つて茫然《ぼんやり》して居る。
色々《いろ/\》と折檻《せつかん》もして見《み》たが無駄《むだ》なので親父《おやぢ》も持餘《もてあま》し、遂《つひ》にお寺樣《てらさま》と相談《さうだん》した結極《あげく》が斯《かう》いふ親子《おやこ》の問答《もんだふ》になつた。
『お前《まへ》が若《も》し怠惰屋《なまけや》の第一等《だいゝつとう》にならうと眞實《ほんと》に思《おも》ふならラクダルさんの處《ところ》へ連《つれ》て行《い》かう。じやが先《ま》づラクダルさんに試驗《しけん》をして貰《もら》はなければならぬ、其上でお前に怠惰屋《なまけや》になるだけの眞實《ほんたう》の力倆《りきりやう》があると定《きま》れば、更《あら》ためてお前を彼《あ》の人の弟子《でし》にして貰《もら》ふ、如何《どう》だ、これは?』と親父は眞面目《まじめ》に言《い》つた。
『是非《ぜひ》さうして下《くだ》さい。』と兒《こ》は二つ返事《へんじ》。
其處《そこ》で其《その》翌日《あくるひ》は愈※[#二の字点、1−2−22]《いよ/\》怠惰屋《なまけや》の弟子入《でしいり》と、親父《おやぢ》は息子《むすこ》の衣裝《みなり》を作《こし》らへ頭《あたま》も奇麗《きれい》に刈《かつ》てやつて、ラクダルの莊園《しやうゑん》へと出《で》かけて行《い》つた。
門《もん》は例《れい》の通《とほ》り開《あけ》つ放《ぱな》しだから敲《たゝ》く世話《せわ》も入《いら》ず、二人《ふたり》はずん/\と内《うち》へ入《はひ》つて見《み》たが草木《くさき》が縱横《じゆうわう》に茂《しげ》つて居《ゐ》るのでラクダルの居所《ゐどころ》も一寸《ちよつと》知《し》れなかつた。彼方《あつち》此方《こつち》と搜《さが》す中、漸《やつ》とのことで大きな無花果《いちじく》の樹蔭《こかげ》に臥《ね》こんで居《ゐ》るのを見《み》つけ出《だ》し、親父《おやぢ》は恭々《うや/\》しく近寄《ちかよ》つて丁寧《ていねい》にお辭儀《じぎ》をして言《い》ふのには
『實《じつ》は今日《けふ》お願《ねがひ》があつてお邪魔《じやま》に出《で》ました。これは手前《てまへ》の愚息《せがれ》で御座《ござ》います、是非《ぜひ》貴樣《あなた》のお弟子《でし》になりたいと本人《ほんにん》の望《のぞみ》ですから連《つれ》て參《まゐ》りましたが、一《ひと》つ試驗《しけん》をして見《み》て下《くだ》さいませんか。其上《そのうへ》で若《も》し物《もの》になりさうだツたら何卒《どうか》怠惰屋《なまけや》の弟子《でし》といふことに願《ねが》ひたいものです。さうなると私《わたし》の方《はう》でも出來《でき》るだけのお禮《れい》は致します積りで……』
ラクダルは無言《むごん》のまゝ手眞似《てまね》で其處《そこ》へ坐《すわ》らした。親父《おやぢ》は當前《あたりまへ》に坐《すわ》る、愚息《せがれ》はゴロリ臥《ね》ころんで足《あし》を蹈伸《ふみのば》す、この臥轉《ねころ》び方《かた》が第一《だいゝち》上出來《じやうでき》であつた。三人《さんにん》は其《その》まゝ一言《ひとこと》も發《はつ》しない。
恰度《ちやうど》日盛《ひざかり》で太陽《ひ》は燦然《ぎら/\》と煌《かゞや》き、暑《あつさ》は暑《あつ》し、園《その》の中《なか》は森《しん》として靜《しづ》まり返《かへ》つて居《ゐ》る。たゞ折々《をり/\》聞《きこゆ》るものは豌豆《ゑんどう》の莢《さや》が熱《あつ》い日に彈《はじ》けて豆《まめ》の飛《と》ぶ音《おと》か、草間《くさま》の泉《いづみ》の私語《さゝやく》やうな音、それでなくば食《く》ひ飽《あき》た鳥《とり》が繁茂《しげみ》の中《なか》で物疎《ものう》さうに羽搏《はゞたき》をする羽音《はおと》ばかり。熟過《つえすぎ》た無花果《いちじく》がぼたりと落ちる。
其中《そのうち》腹《はら》が空《すい》て來《き》たと見《み》えてラクダルは面倒臭《めんだうくさ》さうに手を伸《のば》して無花果《いちじく》を採《とつ》て口《くち》に入《い》れた。
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