》の評判《ひやうばん》ものとなり、人々《ひと/″\》は何時《いつしか》この漢《をとこ》を仙人《せんにん》の一人《ひとり》にして了《しま》ひ、女は此《この》庄園《しやうゑん》の傍《そば》を通《とほ》る時など被面衣《かつぎ》の下でコソ/\と噂《うはさ》してゆく、男の中《うち》には脱帽《だつばう》して通《とほ》るものすらあつた。
けれど小供《こども》こそ眞《まこと》の審判官《しんぱんくわん》で、小供《こども》の眼《め》にはたゞ變物《かはりもの》の一人《ひとり》としか見《み》えない。嬲物《なぶりもの》にして慰《なぐ》さむに丁度《ちやうど》可《よ》い男《をとこ》としか見《み》えない。であるから學校《がくかう》の歸途《かへりみち》には大勢《おほぜい》が其《その》崩《くづ》れ落《おち》た壁《かべ》に這《は》いのぼつてワイ/\と騒《さわ》ぐ、手《て》を拍《う》つやら、囃《はや》すやら、甚《はなは》だしきは蜜柑《みかん》の皮《かは》を投《な》げつけなどして揄揶《からか》うのである。けれども何《なん》の效果《きゝめ》もない。怠惰屋《なまけや》は決《けつ》して起《お》き上《あが》らない、たゞ一度《いちど》、草《くさ》の臥床《ねどこ》の中《なか》から間《ま》の拔《ぬ》けた聲《こゑ》を張上《はりあ》げて
『見《み》て居《ゐ》ろ! 起《お》きてゆくから!』
と怒鳴《どな》つたことがある。然《しか》し遂《つひ》に起《お》きあがらなかつた。
處《ところ》が或日《あるひ》のこと、やはり學校《がくかう》の歸途《かへり》に庄園《しやうゑん》の壁《かべ》の上《うへ》でラクダルを揄揶《からか》つて居《ゐ》た少年《こども》の中に、何《なん》と思《おも》つたか甚《ひど》く感心《かんしん》して了《しま》ひ自分《じぶん》も是非《ぜひ》怠惰屋《なまけや》にならうと決心《けつしん》した兒《こ》が一人《ひとり》あつた。つまりラクダルに全然《すつかり》歸依《きえ》して了《しま》つたのである。大急《おほいそ》ぎで家《うち》に歸《か》へり、父に向《むか》つて最早《もう》學校《がくかう》には行《い》きたくない、何卒《どうか》怠惰屋《なまけや》にして呉《くれ》ろと嘆願《たんぐわん》に及《およ》んだ。
『怠惰屋《なまけや》に? お前《まへ》が?』
と親父《おやぢ》さん開《あ》いた口《くち》が塞《ふさ》がらない。暫時《しばら》く我兒《わがこ》の顏《かほ》を見《み》つめて居たが『それはお前《まへ》、本氣《ほんき》か。』
『本氣《ほんき》だよ親父《おとつ》さん! ラクダルさんのやうに私《わたし》も怠惰屋《なまけや》になるのだ。』
親父《おやぢ》といふは煙管《パイプ》の旋盤細工《ろくろざいく》を業《げふ》として居る者《もの》で、鷄《とり》の鳴《な》く時から日の晩《くれ》るまで旋盤《ろくろ》の前《まへ》を動《うご》いたことのない程の、ブリダア市《まち》では珍《めづ》らしい稼人《かせぎにん》であるから、兒童《こども》の言《い》ふ處《ところ》を承知《しようち》する筈《はず》もない。
『馬鹿を言《い》ふな! お前は乃父《おれ》のやうに旋盤細工《ろくろざいく》を商業《しやうばい》にするか、それとも運《うん》が可《よ》くばお寺《てら》の書役《かきやく》にでもなるのだ。怠惰屋《なまけや》なぞになられて堪《たま》るものか、學校《がくかう》へ行《ゆ》くのが慊《いや》なら櫻《さくら》の木《き》の皮《かは》を剥《むか》すが可《よ》いか、サア如何《どう》だ此《この》大《おほ》たわけめ!』
櫻《さくら》の皮《かは》を剥《むか》されては大變《たいへん》と、兒童《こども》は早速《さつそく》親父《おやぢ》の言《い》ふ通《とほ》りになつて其《その》翌日《よくじつ》から平常《いつも》の如《ごと》く學校《がくかう》へ行《ゆ》く風《ふう》で家《うち》を出《で》た。けれども決《けつ》して學校《がくかう》には行《い》かない。
市街《まち》の中程《なかほど》に大《おほ》きな市場《いちば》がある、兒童《こども》は其處《そこ》へ出かけて、山のやうに貨物《くわもつ》の積《つん》である中《なか》にふんぞり返《かへ》つて人々《ひと/″\》の立騒《たちさわ》ぐのを見《み》て居る。金絲の綉《ぬひはく》をした上衣《うはぎ》を日《ひ》に煌《きらめ》かして行《ゆ》く大買人《おほあきんど》もあれば、重《おも》さうな荷物を脊負《しよつ》てゆく人足《にんそく》もある、香料《かうれう》の妙《たへ》なる薫《かほり》が折《を》り/\生温《なまぬく》い風につれて鼻《はな》を打つ、兒童《こども》は極樂《ごくらく》へでも行《い》つた氣になつて、茫然《ぼんやり》と日の晩《くれ》るまで斯《か》うして居《ゐ》た。次《つぎ》の日《ひ》も次《つぎ》の日《ひ》も、此兒《このこ》の影《か
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング