違ありません。言うあたわざるもの、聞くあたわざる者、見るあたわざる者も、なお思うことはできます。思うて感ずることはできます。白痴となると、心の唖《おし》、聾《つんぼ》、盲《めくら》ですからほとんど禽獣《きんじゅう》に類しているのです。ともかく人の形をしているのですから全く感じがないわけではないが、普通の人と比べては十の一にも及びません。また不完全ながらも心の調子が整うていればまだしもですが、さらにいびつになってできているのですから、様子がよほど変です、泣くも笑うも喜ぶも悲しむも、みな普通の人から見ると調子が狂っているのだからなお哀れです。
おしげはともかく、六蔵のほうは子供だけに無邪気《むじゃき》なところがありますから、私は一倍哀れに感じ、人の力でできることならば、どうにかして少しでもその知能の働きを増してやりたいと思うようになりました。
すると田口の主人《あるじ》と話してから二週間もたった後のこと、夜の十時ごろでした、もう床につこうかと思っているところへ、
「先生、お寝《やす》みですか」と言いながら私の室《へや》にはいって来たのは六蔵の母親です。背の低い、痩形《やせがた》の、頭の
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