で過ごさして呉れた父母の好意を感謝せざるを得ない、若し僕が八歳の時父母と共に東京に出て居たならば、僕の今日は餘程違つて居ただらうと思ふ。少くとも僕の智慧は今よりも進んで居た代りに僕の心はヲーズヲース一卷より高遠にして清新なる詩想を受用し得ることが出來なかつただらうと信ずる。
僕は野山を駈け暮らして、我幸福なる七年を送つた。叔父の家は丘の麓《ふもと》に在り、近郊には樹林多く、川あり泉あり池あり、そして程遠からぬ處に瀬戸内《せとうち》々海の入江がある。山にも野にも林にも溪《たに》にも海にも川にも僕は不自由を爲《し》なかつたのである。
處が十二の時と記憶する、徳二郎といふ下男が或日僕に今夜面白い處に伴《つ》れてゆくが行かぬかと誘さうた。
「何處《どこ》だ」と僕は訊ねた。
「何處だと聞《きか》つしやるな。何處でも可《え》えじや御座んせんか、徳の伴れてゆく處に面白うない處はない」と徳二郎は微笑を帶びて言つた。
此徳二郎といふ男は其頃二十五歳位、屈強な若者で、叔父の家には十一二の年から使はれて居る孤兒《みなしご》である。色の淺黒い、輪廓の正しい立派な男、酒を飮めば必ず歌ふ、飮《のま》ざるも亦
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