あるべきを想像していたから、遠慮なく切りだした。
「尺八は本式に稽古《けいこ》したのだろうか、失敬なことを聞くが」
「イイエそうではないのでございます、全く自己流で、ただ子供の時から好きで吹き慣らしたというばかりで、人様にお聞かせ申すものではないのでございます、ヘイ」
「イヤそうでない、全くうまいものだ、これほど技があるなら人の門《かど》を流して歩かないでも弟子でも取った方が楽だろうと思う、お前|独身者《ひとりもの》かね?」
「ヘイ、親もなければ妻子もない、気楽な孤独者《ひとりもの》でございます、ヘッヘヘヘヘヘ」
「イヤ気楽でもあるまい、日に焼け雨に打たれ、住むところも定まらず国々を流れゆくなぞはあまり気楽でもなかろうじゃアないか。けれどもいずれ何か理由《いわれ》のあることだろうと思う、身の上話を一ツ聞かしてもらいたいものだ」と思いきって正面から問いかけた。人の不幸や、零落につけこんで、その秘密まで聞こうとするのは、決して心あるもののすることでないとは承知しながらも、彼に二度まで遇い、その遇うた場所と趣とが少からず自分を動かしたために、それらを顧慮することができなかったのである。
「ヘイ、お話ししてもよろしゅうございます。今日はどういうものかしきりと子供の時のことを想いだして、さきほども別荘の坊ちゃまたちがお庭の中で声を揃《そろ》えて唱歌を歌っておいでになるのを聞いた時なんだか泣きたくなりました。
 私の九《ここの》つ十《とお》のころでございます、よく母に連れられて城下から三里奥の山里に住んでいる叔母の家を訪ねて、二晩三晩泊ったものでございます。今日もちょうどそのころのことを久しぶりで思い出しました。今思うと、私が十七八の時分ひとが尺八を吹くのを聞いて、心をむしられるような気がしましたが、今私が九つや十の子供の時を想い出して堪《たま》らなくなるのとちょうど同じ心持でございます。
 父には五つの歳に別れまして、母と祖母《ばば》との手で育てられ、一反ばかりの広い屋敷に、山茶花《さざんか》もあり百日紅《さるすべり》もあり、黄金色の茘枝《れいし》の実が袖垣《そでがき》に下っていたのは今も眼の先にちらつきます。家と屋敷ばかり広うても貧乏士族で実は喰うにも困る中を母が手内職で、子供心にはなんの苦労もなく日を送っていたのでございます。
 母も心細いので山家の里に時々帰えるのが何よ
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