した儀につきましては藤吉に代りまして私より十分の御礼を申し上げます。つきましては、お俊儀は今日ただ今より私が世話することになりましたにつきましては早速お宅を立ち退くことにいたします、さようあしからず御承知を願い置きます』と切り口上でベラベラとしゃべり立てました、私は文句が出ないのでございます。
 それからお俊と頭領がどたばた荷ごしらいをするようでしたが、間もなくお俊が私の傍《そば》に参りまして、『いろいろわけがあるのだから、悪く思っちゃアいけませんよ、さようなら、お大事に』
 二人は出て行きました。私は泣くこともわめくこともできません、これは皆な罰だと思いますと、母のやつれた姿や、孕《はら》んだまま置き去りにして来たお幸の姿などが眼の前に現われるのでございます。
 役所は免《や》められ、眼はとうとう片方が見えなくなり片方は少し見えても物の役には立たず、そのうち少しの貯蓄《たくわえ》はなくなってしまいました。それから今の姿におちぶれたのでございますが、今ではこれを悲しいとも思いません、ただ自分で吹く尺八の音につれて恋いしい母のことを思い出しますと、いっそ死んでしまったらと思うこともございますが死ぬることもできないのでございます」

     *     *     *

 盲人は去るにのぞんでさらに一曲を吹いた。自分はほとんどその哀音悲調を聴くに堪えなかった。恋の曲、懐旧の情、流転の哀しみ、うたてやその底に永久《とこしえ》の恨みをこめているではないか。
 月は西に落ち、盲人は去った。翌日は彼の姿を鎌倉に見ざりし。



底本:「日本の文学 5 樋口一葉 徳富蘆花 国木田独歩」中央公論社
   1968(昭和43)年12月5日初版発行
初出:「文藝界」金港堂
   1903(明治36)年12月
※「路次」と「路地」、「意久地」と「意気地」の混在は底本通りにしました。
入力:iritamago
校正:多羅尾伴内
2004年7月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全25ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング