。振りかえって見ると武之允《たけのじょう》といういかめしい名を寺の和尚から附けてもらった男で隣村に越す坂の上に住んでいる若い者でした。
『なんだ。武之允|山城守《やましろのかみ》』
『全く修蔵様は尺八が巧いよ』とにやにや笑うのです。この男は少し変りもので、横着もので、随分人をひやかすような口ぶりをする奴ですから、『殴るぞ』と尺八を構えて喝《おど》す真似をしますと、彼奴《きゃつ》急に真面目になりまして、
『修蔵様に是非見てもらいたいものがあるんだが見てくれませんか』と妙なことを言い出したのでございます。変に思いまして、
『なんだろう、私に見てもらいたいというのは』
『なんでもいいから、ただ見てもらえばいいのだ』
『どんなものだい、品物かい』と問いますと武の奴、妙な笑いかたをして、
『あなたの大すきなものだ』
『手前はおれをなぶるなッ』
『なぶるのじゃアない、全く見てもらいたいのでござんす。私のお頼みだから是非見てやって下さい』と今度はまた大真面目に言うのでございます。
『よろしい、見てやろうから出せ』
『出せって、今ここにはありません、ちょっと私の家へ来てもらいたいのでございますが』
『お家の宝、なんとかの剣という品物かな』と私がいいますと今度また妙に笑い出しまして、
『まずそんな物でございます、何しろ宝にゃ相違ないのだから、ウンそうだ、宝でございます』と手を拍《う》ちますので私も不思議で堪りません、私の方からも見たくなりましたから、
『それじゃこれから一緒に行こう、サア行って見てやろう』とそれから二人連れ立ちまして、武の家に参りました。
 前に申しました通り武の家は小さな坂の頂にあるのでございます。叔母の家からは七八丁もありましょうか、その坂の下に例の尺八の大先生が住んでいるのでございますから私も坂の下までは始終参りますが、坂に登ったことは三四度しかありません。この坂を越しますと狭い谷間でありまして、そこに家が十軒とはないのです。だからこの坂を越すものは村の者でもたくさんはないのでござります。武の家は一軒の母屋《おもや》と一軒の物置とありますが物置はいつも戸が〆切《しめき》ってあってその上に崕《がけ》から大きな樫《かし》の木がおっかぶさっていますから見るからして陰気なのでございます。母屋も広い割合には人気がないかと思われるばかり、シンとしているのです。家にむかいあっ
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