き下してなお可愛くなったとその柔らかな頬《ほお》を無理に私の顔に押しつけたり、いろいろな真似をするのでございます。
 そうすると私もそれが嬉れしいような気がして、その後はたびたび遊びに出かけて、おさよの顔を見ないと物足りないようになりました。
 そのうち、売卜者から女難のことを言われ、母からは女難ということの講釈を聞かされましたので、子供心にも、もしか今のが女難ではあるまいかと、ひどくこわくなりましたが、母の前では顔にも出さず、ないない心を痛めていながらも時々おさよのもとに遊びに参りましたのでございます。
 今から思いますと、やはりそのころ私はおさよを慕うていたに違いないのです、おさよが私を抱いて赤児《あかんぼ》扱いにするのを私は表面《うわべ》で嫌がりながら内々はうれしく思い、その温たかな柔らかい肌《はだ》で押しつけられた時の心持は今でも忘れないのでございます。女難といえばその時もう女難に罹《かか》っていたといってもよろしゅうございましょう。
 母は毎日のように、女はこわいものだという講釈をして聴かし、いろいろと昔の人のことや、城下の若い者の身の上などを例えに引いて話すのでございます。安珍《あんちん》清姫《きよひめ》のことまで例えに引きました。外面如菩薩《げめんにょぼさつ》内心|如夜叉《にょやしゃ》などいう文句は耳にたこのできるほど聞かされまして、なんでも若い女と見たら鬼か蛇《じゃ》のように思うがよい、親切らしいことを女が言うのは皆な欺《だ》ますので、うかとその口に乗ろうものならすぐ大難に罹りますぞよというのが母の口癖でありましたのでございます。
 私は母を信仰していましたから母の言うことは少しも疑いませんでした。それですからおさよも事によったら内心如夜叉ではないかとこわがりながらも、自分で言いわけをこしらえて、おさよさんはまだ子供だし自分もまだ子供だからそんなこわいことはない、おさよさんが自分を可愛がるのは真実に可愛がるので決して欺《だま》すのじゃあないとこういう風に考えていたのでございます。
 ところがある日、日の暮に飯塚の家の前を通るとおさよが飛び出して来て、私を無理に引っ張り込みました。そしてなぜこの四五日遊びに来なかったと聞きますから、風邪を引いたといいますと、それは大変だ、もう癒《なお》ったかと、私の顔を覗きこんで、まだ顔色がよくない、大事になさいよ修さ
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