私が可愛いので、先から先と私の行く末を考えては、それを幸福《しあわせ》の方には取らないで、不幸せなことばかりを想い、ひとしお私がふびん[#「ふびん」に傍点]で堪らないのでございました。
 ある時、母は私の行く末を心配するあまりに、善教寺という寺の傍《そば》に店を出していた怪しい売卜者《うらないしゃ》のところへ私を連れて参りました。
 売卜者の顔はよく憶《おぼ》えております、丸顔の眼の深く落ちこんだ小さな老人で、顔つきは薄気味悪うございましたが母と話をするその言葉つきは大変に優しくって丁寧で、『アアさようかな、それは心配なことで、ごもっともごもっとも、よく私が卜《み》て進ぜます』という調子でございました。
 老人は私の顔を天眼鏡で覗《のぞ》いて見たり、筮竹《ぜいちく》をがちゃがちゃいわして見たり、まるで人相見と八卦見《はっけみ》と一しょにやっていましたが、やがてのことに、
『イヤ御心配なさるな、この児さんは末はきっと出世なさるる、よほどよい人相だ。けれど一つの難がある、それは女難だ、一生涯女に気をつけてゆけばきっと立派なものになる』と私の頭を撫《な》でまして、『むむ、いい児だ』としげしげ私の顔を見ました。
 母は大喜びに喜こびまして、家に帰えるやすぐと祖母にこのことを吹聴しましたところが祖母は笑いながら、
『男は剣難の方がまだ男らしいじゃないか、この児は色が白うて弱々しいからそれで卜者《うらないしゃ》から女難があると言われたのじゃ、けれども今から女難もあるまい、早くて十七八、遅くとも二十《はたち》ごろから気をつけるがよい』と申しました。
 ところが私にはその時(十二でした)もう女難があったのでございます。
 ここまでお話ししたのでございますから、これから私の女難の二つ三つを懺悔《ざんげ》いたしましょう。売卜者はうまく私の行く末を卜《うらな》い当てたのでございます。
 そのころ、私の家から三丁ばかり離れて飯塚という家がございましたがそこの娘におさよと申しまして十五ばかりの背《せい》のすらりとして可愛らしい児がいました。
 その児が途《みち》で私を見るときっとうちに遊びに来いと言うのです。私も初めのうちは行きませんでしたがあまりたびたび言うので一度参りますると、一時間も二時間も止めて還《かえ》さないで膝の上に抱き上げたり、頸《くび》にかじりついたり、頭の髪を丁寧に掻《か》
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