四書の中でもこれだけは決してわが家《や》に入れないと高言していることを僕は知っていたゆえ、意地《いじ》わるくここへ論難の口火をつけたのである。
『フーンお前は孟子が好きか。』『ハイ僕は非常に好きでございます。』『だれに習った、だれがお前に孟子を教えた。』『父が教えてくれました。』『そうかお前はばかな親を持ったのう。』『なぜです、失敬じゃアありませんか他人《ひと》の親をむやみにばかなんて!』と僕はやっきになった。
『黙れ! 生意気な』と老人は底光りのする目を怒らして一喝《いっかつ》した。そうすると黙ってそばに見ていた孫娘が急に老人の袖《そで》を引いて『お祖父《じい》さん帰りましょうお宅《うち》へ、ね帰りましょう』と優しく言った。僕はそれにも頓着《とんじゃく》なく『失敬だ、非常に失敬だ!』
と叫んでわが満身の勇気を示した。老人は忙しく懐《ふところ》から孟子を引き出した、孟子を!
『ソラここを読んで見ろ』と僕の眼前《めさき》に突き出したのが例の君、臣を視《み》ること犬馬《けんば》のごとくんばすなわち臣の君を見ること国人《こくじん》のごとし云々《うんぬん》の句である。僕はかねてかくあるべしと期
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