かもしれない。
しかるにある日のこと、僕は独《ひと》りで散歩しながら計らずこの老先生の宅のすぐ上に当たる岡へと出た。何心なく向こうを見ると大沢の頑固老人、僕の近づくのも知らないで、松の根に腰打ちかけてしきりと書見をしていた。そのそばに孫娘がつくねんとして遠く海の方をながめているようである。僕の足音を聞いて娘はふとこの方へ向いたが、僕を見てにっこり笑った。続いて先生も僕を見たがいつもの通りこわい顔をして見せて持っていた書《ほん》を懐《ふところ》へ入れてしまった。
そのころ僕は学校の餓鬼大将だけにすこぶる生意気《なまいき》で、少年のくせに大沢先生のいばるのが癪《しゃく》にさわってならない。いつか一度はあの頑固|爺《じじい》をへこましてくりょうと猪古才《ちょこざい》なことを考えていた。そこで、
『先生今読んでおられたのは何の本でございます』とこう訊《たず》ねた。
『何でもよいわ、お前またそれを聞いて何にする』と、力を込めた低い声で圧《お》しつけるように問い返した。
『僕は孟子《もうし》が好きですからそれでお訊《たず》ねしたのでございます』と、急所を突いた。この老先生がかねて孟子を攻撃して
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