自分の性質には思い切って人に逆らうことの出来る、ピンとしたところはないので、心では思っても行《おこない》に出すことの出来ない場合が幾多《いくら》もある。
ああ哀れ気の毒千万なる男よ! 母の為め妹《いもと》の為めに可《よ》くないと思った下宿の件も遂には止め終《おお》せなかったも当然。母と妹《いもと》の浅ましい堕落を知りつつも思い切って言いだし得ず、言いだしても争そうことの出来なかったも当然。苦るしい中を算段して、いやいやながらも母と妹《いもと》とに淫酒の料をささげたもこれ又当然。
二十四日の晩であった、母から手紙が来て、明二十五日の午後まかり出るから金五円至急に調達《ちょうだつ》せよと申込んで来た時、自分は思わず吐息をついて長火鉢《ながひばち》の前に坐ったまま拱手《うでぐみ》をして首を垂《た》れた。
「どうなさいました?」と病身な妻《さい》は驚いて問うた。
「これを御覧」と自分は手紙を妻《さい》に渡した。妻《さい》は見ていたが、これも黙って吐息したまま手紙を下に置く。
「何故《なぜ》こんな無理ばかり言って来るだろう」
「そうですね……」
「最早《もう》一文なしだろう?」
「一円ばかし
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