《とげ》んと務めるものらしい。
自分はそっと[#「そっと」に傍点]この革包《かばん》を私宅《たく》の横に積である材木の間に、しかも巧に隠匿《かく》して、紙幣《さつ》の一束を懐中して素知らぬ顔をして宅《うち》に入った。
自分の足音を聞いただけで妻《さい》は飛起きて迎えた。助《たすく》を寝かし着けてそのまま横になって自分の帰宅《かえり》を待ちあぐんでいたのである。
「如何《いか》がでした」と自分の顔を見るや。
「取り返して来た!」と問われて直ぐ。
この答も我知らず出たので、嘘《うそ》を吐《つ》く気もなく吐いたのである。
既にこうなれば自分は全たくの孤立。母の秘密を保つ身は自分自身の秘密に立籠《たてこも》らねばならなくなった。
「まアどうして?」と妻のうれしそうに問《とう》のを苦笑《にがわらい》で受けて、手軽く、
「能く事わけを話したら渡した」とのみ。妻は猶《な》おその様子まで詳しく聴《き》きたかったらしいが自分の進まぬ風を見て、別に深くも訊《たず》ねず、
「どんなに心配しましたろう。もしも渡さなかったらと思って取越苦労ばかり為ていました」と万斤《まんぎん》の重荷を卸ろしたよろこび。
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