から持って来たお金なんか厭《いや》だと被仰《おっしゃ》ったのだから持て行かなくったって可う御座いますよ」と言い放って口惜《くや》し涙を流すところだが、お政にはそれが出来ない。母から厭味《いやみ》や皮肉を言われて泣いたのは唯《た》だ悲くって泣いたので、自分が優しく慰さむれば心も次第に静まり、別に文句は無いのである。
ところで母は百円盗んで帰った。自分は今これを冷やかに書くが、机の抽斗《ひきだし》を開けてみて百円の紙包が紛失しているのを知った時は「オヤ!」と叫けんだきり容易に二の句が出なかった。
「お前この抽斗を開けや為なかったか」
「否《いいえ》」
「だって先刻《さっき》入れて置いた寄附金の包みが見えないよ」
「まア!」と言って妻は真蒼《まっさお》になった。自分は狼狽《あわて》て二《ふたつ》の抽斗を抽《ぬ》き放って中を一々|験《あら》ためたけれど無いものは無い。
「先刻|母上《おっか》さんが置手紙を書くってお開けになりましたよ!」
「そうだ!」と自分は膝《ひざ》を拍《う》った時、頭から水を浴たよう。崕《がけ》を蹈外《ふみはず》そうとした刹那《せつな》の心持。
自分は暫らく茫然《ぼうぜ
前へ
次へ
全65ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング