。まぎらす[#「まぎらす」に傍点]者が出来ている。もしこれ等が皆《み》な消え失《う》せて山上に樹《た》っている一本松のように、ただ一人、無人島の荒磯《あらいそ》に住んでいたらどうだろう。風は急に雨は暗く海は怪しく叫ぶ時、人の生命、この地の上に住む人の一生を楽しいもの、望あるものと感ずることが出来ようか。
 だから人情は人の食物《くいもの》だ。米や肉が人に必要物なる如く親子や男女《なんにょ》や朋友の情は人の心の食物だ。これは比喩《ひゆ》でなく事実である。
 だから土地に肥料を施す如く、人は色々な文句を作ってこれ等の情を肥《つち》かうのだ。
 そうしてみると神様は甘《うま》く人間を作って御座る。ではない人間は甘く猿《さる》から進化している。
 オヤ! 戸をたたく者がある、この雨に。お露だ。可愛いお露だ。
 そうだ。人間は甘く猿から進化している。

 五月十二日[#「五月十二日」に傍点(白丸)]
 心細いことを書いている中《うち》にお露が来たので、昨夜は書き続きの本文《ほんもん》に取りかからなかった。さて――
 もしお政が気の勝ている女ならば、自分がその夜三円持て母を尋ねると言えば、
「質屋
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