》をしていたが、
「自分で勝手に下宿屋を行《や》っていながら、そんなことを言われてみると、全然《まるで》私共が悪いように聞える。可いよ、私が今夜行って来よう。そして三円だけ渡して来る」

 五月十一日[#「五月十一日」に傍点(白丸)]
 今日は朝から雨降り風起りて、湖水のような海もさすがに波音が高い。山は鳴っている。
 今夜はお露も来ない。先刻《さっき》まで自分と飲んでいた若者も帰ってしまった。自分は可《い》い心持に酔うている。酔うてはいるもののどうも孤独の感に堪《た》えない。要するに自分は孤独である。
 人の一生は何の為だろう。自分は哲学者でも宗教家でもないから深い理窟《りくつ》は知らないが、自分の今、今という今感ずるところは唯《た》だ儚《はかな》さだけである。
 どうも人生は儚いものに違いない。理窟は抜にして真実のところは儚いものらしい。
 もしはかないものでないならば、たとい人はどんな境遇に堕《おち》るとも自分が今感ずるような深い深い悲哀《かなしみ》は感じない筈《はず》だ。
 親とか子とか兄弟とか、朋友《ほうゆう》とか社会とか、人の周囲《まわり》には人の心を動かすものが出来ている
前へ 次へ
全65ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング