一人養うことも出来ずさ、下宿屋家業までさして置いて忠孝の道を児童《こども》に教えるなんて、随分変った先生様もあるものだね。然しお政さんなんぞは幸福《しあわせ》さ、いくら親に不孝な男でも女房だけは可愛がるからね。お光《みつ》などのように兵隊の気嫌まで取て漸々御飯を戴《いただ》いていく女もあるから、お前さんなんぞ決して不足に思っちゃなりませんよ」
 皮肉も言い尽して、暫《しば》らく烟草《たばこ》を吹かしながら坐っていたが、時計を見上げて、
「どうせ避《よ》けた位だからちょっくら[#「ちょっくら」に傍点]帰って来ないだろう。帰りましょう、私も多忙《いそが》しい身体だからね。お客様に御飯を上げる仕度《したく》も為なければならんし」と急に起上《たちあ》がって
「紙と筆を借りるよ。置手紙を書くから」と机の傍《そば》に行った。
 この時助が劇《はげ》しく泣きだしたので、妻は抱いて庭に下りて生垣《いけがき》の外を、自分も半分泣きながら、ぶらぶら歩るいて児供《こども》を寝かしつけようとしていた。暫《しばら》くすると急に母は大声で
「お政さん! お政さん!」と呼んだ。妻は座敷に上がると母は眼に角を立て睨《
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