ことやら。憚《はばか》りながら未《ま》だ三十二で御座る。
 まさかこの小《ちっ》ぽけな島、馬島《うましま》という島、人口百二十三の一人となって、二十人あるなしの小供を対手《あいて》に、やはり例の教員、然し今度は私塾なり、アイウエオを教えているという事は御存知あるまい。無いのが当然で、かく申す自分すら、自分の身が流れ流れて思いもかけぬこの島でこんな暮《くらし》を為るとは夢にも思わなかったこと。
 噂をすれば影とやらで、ひょっくり自分が現われたなら、升屋の老人|喫驚《びっく》りして開《あ》いた口がふさがらぬかも知れない。「いったい君はどうしたというんだ」と漸《やっ》とのことで声を出す。それから話して一時間も経《た》つと又|喫驚《びっくり》、今度は腹の中で。「いったいこの男はどうしたのだろう、五年見ない間《ま》に全然《すっかり》気象まで変って了《しま》った」
 驚き給うな源因《げんいん》がある。第一、日記という者書いたことのない自分がこうやって、こまめに筆を走らして、どうでもよい自分のような男の身の上に有ったことや、有ることを、今日からポツポツ書いてみようという気になったのからして、自分は五
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