《たぐいまれ》なる慰労金まで支出したのは、升屋の老人などの発起《ほっき》に成ったのである。
妻子の葬儀には母も妹《いもと》も来た。そして人々も当然と思い、二人も当然らしく挙動《ふるま》った。自分は母を見ても妹を見ても、普通の会葬者を見るのと何の変《かわり》もなかった。
三百円を受けた時は嬉《うれ》しくもなく難有《ありがた》くもなく又|厭《いや》とも思わず。その中百円を葬儀の経費に百円を革包に返し、残《のこり》の百円及び家財家具を売り払った金を旅費として飄然《ひょうぜん》と東京を離れて了った。立つ前夜|密《ひそか》に例の手提革包を四谷の持主に送り届けた。
何時自分が東京を去ったか、何処《いずこ》を指して出たか、何人《なにびと》も知らない、母にも手紙一つ出さず、建前が済んで内部《うち》の雑作《ぞうさく》も半ば出来上った新築校舎にすら一|瞥《べつ》もくれないで夜|窃《ひそ》かに迷い出たのである。
大阪に、岡山に、広島に、西へ西へと流れて遂にこの島に漂着したのが去年の春。
妻子の水死後|全然《まるで》失神者となって東京を出てこの方幾度自殺しようと思ったか知れない。衣食のために色々の業に従がい、種々の人間、種々の事柄に出会い、雨にも打たれ風にも揉《もま》れ、往時を想うて泣き今に当って苦しみ、そして五年の歳月《としつき》は澱《よど》みながらも絶ず流れて遂にこの今の泡《あわ》の塊《かたまり》のような軽石のような人間を作り上《あげ》たのである。
三年前までは死んだ赤児《あかんぼ》の泣声がややもすると耳に着き、蒼白《あおじろ》い妻《さい》の水を被《かぶ》った凄《すご》い姿が眼の先にちらついたが、酒のお蔭で遂に追払って了った。然し今でも真夜中にふと[#「ふと」に傍点(白丸)]眼を醒《さ》ますと酒も大略《あらまし》醒めていて、眼の先を児を背負《おぶ》ったお政がぐるぐる廻って遠くなり近くなり遂に暗の中に消えるようなことが時々ある。然し別に可怕《おそろ》しくもない。お政も今は横顔だけ自分に見せるばかり。思うに遠からず彼方《あちら》向いて去《い》って了うだろう。不思議なことには真面目《まじめ》にお政のことを想う時は決してその浅ましい姿など眼に浮ばないで現われる時は何時も突然である。
可愛《かあい》いお露に比べてみるとお政などは何でもない。母などは更に何でもない。
五月十九日[
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