した後での衣食のことを思い、衣食のことよりも更に自分を動かしたのは折角これまでに計営《けいえい》して校舎の改築も美々しく落成するものを捨《すて》て終《しま》うは如何《いか》にも残念に感じたことである。
其処《そこ》で一日も早く百円の金を作るが第一と、今度はそれのみに心を砕いたが、当もなんにもない。小学教員に百円の内職は荷が勝ち過ぎる。ただ空想ばかりに耽《ふけ》っている。起きれば金銭《かね》、寝ても百円。或日のことで自分は女生徒の一人を連れて郊外散歩に出た。その以前は能く生徒の三四人を伴うて散歩に出たものである。
美《うるわ》しき秋の日で身も軽く、少女《おとめ》は唱歌を歌いながら自分よりか四五歩先をさも愉快そうに跳《は》ねて行く。路《みち》は野原の薄《すすき》を分けてやや爪先上《つまさきあがり》の処まで来ると、ちらと自分の眼に映ったのは草の間から現われている紙包。自分は駈《か》け寄って拾いあげて見ると内《なか》に百円束が一個《ひとつ》。自分は狼狽《あわて》て懐中《ふところ》にねじこんだ。すると生徒が、
「先生何に?」と寄って来て問うた。
「何でも宜《よろ》しい!」
「だって何に? 拝見な。よう拝見な」と自分にあまえてぶら[#「あまえてぶら」に傍点]下った。
「可《い》けないと言うに!」と自分は少女《むすめ》を突飛ばすと、少女《むすめ》は仰向けに倒れかかったので、自分は思わずアッと叫けんでこれを支《ささ》えようとした時、覚《さむ》れば夢であって、自分は昼飯後《ひるめしご》教員室の椅子に凭《もた》れたまま転寝《うたたね》をしていたのであった。
拾った金の穴を埋めんと悶《もが》いて又夢に金銭《かね》を拾う。自分は醒《さ》めた後で、人間の心の浅ましさを染々《しみじみ》と感じた。
五月十七日[#「五月十七日」に傍点(白丸)]
妻《さい》のお政は自分の様子の変ったのに驚ろいているようである。自分は心にこれほどの苦悶《くるしみ》のあるのを少しも外に見せないなどいうことの出来る男でない。のみならずもし妻がこの秘密を知ったならどうしようと宅《うち》に在《あっ》てはそれがまた苦労の一で、妻の顔を見ても、感付てはいまいかとその眼色を読む。絶えずキョトキョトして、そわそわして安んじないばかりか、心に爛《ただれ》たところが有るから何でもないことで妻に角立《かどだ》った言葉を使うこと
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