『踏切の八百屋《やおや》』である。
『そうよ懐《ふところ》が寒くなると血がみんな頭へ上って、それで気が狂《ちが》うんだろうよ』と言ったのは長屋の者らしい。
『うまいことをいってらア』と江藤はつぶやいた。
『おいらは毎晩|逆上《のぼ》せる薬を四合|瓶《びん》へ一本ずつ升屋《ますや》から買って飲むが一向鉄道|往生《おうじょう》をやらかす気にならねエハハハハ』
『薬が足りないのだろうよ、今夜あたりお神さんにそう言って二合も増《ふ》やしておもらいな。』
『違えねえ、懐《ふところ》が寒くならアヒヒヒヒ』と妙な声で笑った。

       ※[#始め二重括弧、1−2−54]三※[#終わり二重括弧、1−2−55]

 その夜八時過ぎでもあろうか、雨はしとしと降っている、踏切の八百屋《やおや》では早く店をしまい、主人《あるじ》は長火鉢《ながひばち》の前で大あぐらをかいて、いつもの四合の薬をぐびりぐびり飲《や》っている、女房はその手つきを見ている、娘のお菊はそばで針仕事をしながら時々頭を上げて店の戸の方を見る。
『なるほど四合では足りねエ。』
『何がなるほどだよ。』女房はもう不平らしい。
『逆上《のぼせ
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