たねえ、あの時分は。胸がどきどきしたものだ」と、さらに他の号外に移る。
 ――戦死者中福井丸の広瀬中佐および杉野《すぎの》兵曹長《へいそうちょう》の最後はすこぶる壮烈にして、同船の投錨《とうびょう》せんとするや、杉野兵曹長は爆発薬を点火するため船艙《せんそう》におりし時、敵の魚形水雷命中したるをもって、ついに戦死せるもののごとく、広瀬中佐は乗員をボートに乗り移らしめ、杉野兵曹長の見当たらざるため自ら三たび船内を捜索したるも、船体|漸次《ぜんじ》に沈没、海水|甲板《かんぱん》に達せるをもって、やむを得ずボートにおり、本船を離れ敵弾の下《もと》を退却せる際、一巨弾中佐の頭部をうち、中佐の体《たい》は一片の肉塊を艇内に残して海中に墜落したるものなり――
「どうです、聞いていますか」と加藤男爵は問えど、いつものことゆえ、聞いている者もあり、相手にせぬ者もある。けれども御当人は例によって夢中である。
「どうです、一片の肉塊を艇内に残して海中に墜落したるものなり――なんという悲壮な最後だろう、僕は何度読んでも涙がこぼれる」
 酔《え》いが回って来たのか、それとも感慨に堪えぬのか、目を閉じてうつらうつらとして、体《たい》をゆすぶっている。おそらくこの時が彼の最も楽しい時で、また生きている気持ちのする時であろう。しかし、まもなく目をあけて、
「けれども、だめだ、もうだめだ、もう戦争《いくさ》はやんじゃった、古い号外を読むと、なんだか急に年をとって[#「とって」に傍点]しまって、生涯《しょうがい》がおしまいになったような気がする、……」
「妙、妙、そこを彫るのだ、そこだ、なるほど号外の題はおもしろい、なるほど加藤君は号外だ、人間の号外だ、号外を読む人間の号外だ」と中倉翁は感心した声を出す。
「そこと言うのは」加藤男が聞く。
「そことは君が号外を前へ置いてひどくがっかり[#「がっかり」に傍点]しているところだ」
「それはいけない、そんな気のきかないところは御免をこうむる。――」と彼《か》の暗記しおる公報の一つ、常に朗読というより朗吟する一つを始めた、「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動これを撃滅せんとす、本日天候晴朗なれども波高し――ここを願います、僕はこの号外を読むとたまらなくうれしくなるのだから――ぜひここをやってくださいな。」
 中倉先生微笑を含んでしばし黙っていたが、
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