ない、これが常例である。
「そうですとも、考えがあるなら言ったがいいじゃアないか、加藤さん早く言いたまえ、中倉先生の御意《ぎょい》に逆ろうては万事休すだ。」と満谷なる自分がオダテた。ケシかけた。
「号外という題だ。号外、号外! 号外に限る、僕の生命は号外にある。僕自身が号外である。しかりしこうして僕の生命が号外である。号外が出なくなって、僕死せりだ。僕は、これから何をするんだ。」男の顔には例の惨痛の色が現われた。
げにしかり、わが加藤男爵は何を今後になすべきや。彼はともかくも、衣食において窮するところなし。彼には男爵中の最も貧しき財産ながらも、なおかつ財はこれあり、狂的男爵の露命をつなぐ上において、なんのコマル[#「コマル」に傍点]ところはないのであるが、彼は何事もしていない。
「ロシヤ征伐」において初めて彼は生活の意味を得た。と言わんよりもむしろ、国家の大難に当たりてこれを挙国一致で喜憂する事においてその生活の題目を得た。ポーツマウス以後、それがなくなった。
かれ男爵、ただ酒を飲み、白眼にして世上を見てばかり[#「ばかり」に傍点]いた加藤の御前《ごぜん》は、がっかり[#「がっかり」に傍点]してしまった。世上の人はことごとく、彼ら自身の問題に走り、そがために喜憂すること、戦争以前のそれのごとくに立ち返った。けれども、男《だん》は喜憂目的物を失った。すなわち生活の対手《たいしゅ》、もしくはまと[#「まと」に傍点]、あるいは生活の扇動者を失った。
がっかり[#「がっかり」に傍点]したのも無理はない。彼の戦争論者たるも無理はない。
「号外」、なるほど加藤男の彫像に題するには何よりの題目だろう、……男爵は例のごとくそのポケットから幾多の新聞の号外を取り出して、
「号外と僕に題するにおいて何かあらんだ。ねえ、中倉さん、ぜひ、その題で僕を、一ツ作ってもらいたい。……こんなふうに読んでいるところならなおさらにうれしい、」と朗読をはじめる。
第三報、四月二十八日午後三時五分発、同月同日午後九時二十五分着。敵は靉河《あいか》右岸に沿い九連城以北に工事を継続しつつあり、二十八日も時々砲撃しつつあり、二十六日|九里島《きゅうりとう》対岸においてたおれたる敵の馬匹《ばひつ》九十五頭、ほかに生馬六頭を得たり――
「どうです、鴨緑江大捷《おうりょっこうたいしょう》の前触れだ、うれしかっ
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