婦が足投げだして涼《すず》みいし縁先に来たりぬ。夫婦は燈《ともしび》つけんともせず薄暗き中に団扇《うちわ》もて蚊《か》やりつつ語《かた》れり、教師を見て、珍らしやと坐《ざ》を譲《ゆず》りつ。夕闇《ゆうやみ》の風、軽《か》ろく雨を吹けば一滴二滴、面《おもて》を払うを三人は心地よげに受けてよもやまの話に入りぬ。
その後《のち》教師都に帰りてより幾年《いくとせ》の月日|経《た》ち、ある冬の夜、夜《よ》更《ふ》けて一時を過ぎしに独《ひと》り小机に向かい手紙|認《したた》めぬ。そは故郷《ふるさと》なる旧友の許《もと》へと書き送るなり。そのもの案じがおなる蒼《あお》き色、この夜は頬《ほお》のあたりすこし赤らみておりおりいずこともなくみつむるまなざし、霧に包まれしある物を定《さだ》かに視《み》んと願うがごとし。
霧のうちには一人の翁《おきな》立ちたり。
教師は筆おきて読みかえしぬ。読みかえして目を閉《と》じたり。眼《まなこ》、外に閉じ内に開けば現われしはまた翁なり。手紙のうちに曰《いわ》く「宿の主人は事もなげにこの翁が上を語りぬ。げに珍しからぬ人の身の上のみ、かかる翁を求めんには山の蔭《かげ》
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