然パラ/\と音がして来たので余は外に出て見ると、日は薄く光り、雲は静に流れ、寂たる深林を越えて時雨《しぐれ》が過ぎゆくのであつた。
 余は宿の子を残して、一人|此辺《このあたり》を散歩すべく小屋を出た。
 げに怪しき道路よ。これ千年の深林を滅《めつ》し、人力を以て自然に打克《うちかた》んが為めに、殊更に無人《ぶじん》の境《さかひ》を撰んで作られたのである。見渡すかぎり、両側の森林これを覆ふのみにて、一個の人影《じんえい》すらなく、一縷《いちる》の軽煙すら起らず、一の人語すら聞えず、寂々《せき/\》寥々《れう/\》として横はつて居る。
 余は時雨の音の淋しさを知つて居る、然し未だ曾《かつ》て、原始の大深林を忍びやかに過ぎゆく時雨ほど淋びしさを感じたことはない。これ実に自然の幽寂なる私語《さゝやき》である。深林の底に居て、此|音《ね》を聞く者、何人か生物を冷笑する自然の無限の威力を感ぜざらん。怒濤、暴風、疾雷、閃雷は自然の虚喝《きよかつ》である。彼の威力の最も人に迫るのは、彼の最も静かなる時である。高遠なる蒼天の、何の声もなく唯だ黙して下界を視下《みおろ》す時、曾《かつ》て人跡を許さゞりし
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