可《いけ》ませんよ』と囁《ささや》き、その手を僕の肩にかけるが早いか僕の左の頬《ほお》にべたり熱いものが触て一種、花にも優《まさ》る香が鼻先を掠《かす》めました。突然明い所へ出ると、少女《むすめ》の両眼には涙が一ぱい含んでいて、その顔色は物凄《ものすご》いほど蒼白《あおじろ》かったが、一《ひとつ》は月の光を浴びたからでも有りましょう、何しろ僕はこれを見ると同時に一種の寒気《さむけ》を覚えて恐《こわ》いとも哀《かな》しいとも言いようのない思が胸に塞《つか》えてちょうど、鉛の塊《かたまり》が胸を圧《お》しつけるように感じました。
「その夜、門口《かどぐち》まで送り、母なる人が一寸《ちょっ》と上って茶を飲めと勧めたを辞し自宅へと帰路に就《つ》きましたが、或|難《むずかし》い謎《なぞ》をかけられ、それを解くと自分の運命の悲痛が悉《ことごと》く了解《わか》りでもするといったような心持がして、決して比喩《ひゆ》じゃアない、確にそういう心持がして、気になってならない。そこで直ぐは帰らず山内の淋《さ》むしい所を撰《よ》ってぶらぶら歩るき、何時《いつ》の間にか、丸山の上に出ましたから、ベンチに腰をかけて
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