満足しなかったのだ……先ず冬になると……」
「ちょッとお話の途中ですが、貴様《あなた》はその『冬』という音《おん》にかぶれやアしませんでしたか?」と岡本は訊《たず》ねた。
上村は驚ろいた顔色をして
「貴様はどうしてそれを御存知です、これは面白い! さすが貴様は馬鈴薯党だ! 冬と聞いては全く堪《たま》りませんでしたよ、何だかその冬|則《すなわ》ち自由というような気がしましてねエ! それに僕は例の熱心なるアーメンでしょうクリスマス万歳の仲間でしょう、クリスマスと来るとどうしても雪がイヤという程降って、軒から棒のような氷柱《つらら》が下っていないと嘘《うそ》のようでしてねエ。だから僕は北海道の冬というよりか冬則ち北海道という感が有ったのです。北海道の話を聴《きい》ても『冬になると……』とこういわれると、身体《からだ》がこうぶるぶるッとなったものです。それで例の想像にもです、冬になると雪が全然《すっかり》家を埋めて了《しま》う、そして夜は窓硝子《まどガラス》から赤い火影《ほかげ》がチラチラと洩《も》れる、折り折り風がゴーッと吹いて来て林の梢《こずえ》から雪がばたばたと墜《お》ちる、牛部屋でホルスタイン種の牝牛《めうし》がモーッと唸《うな》る!」
「君は詩人だ!」と叫けんで床を靴で蹶《けっ》たものがある。これは近藤といって岡本がこの部屋に入って来て後《のち》も一|言《ごん》を発しないで、唯《た》だウイスキーと首引《くびっぴき》をしていた背の高い、一癖あるべき顔構《つらがまえ》をした男である。
「ねエ岡本君!」と言い足した。岡本はただ、黙言《だまっ》て首肯《うなず》いたばかりであった。
「詩人? そうサ、僕はその頃は詩人サ、『山々|霞《かす》み入合《いりあい》の』ていうグレーのチャルチャードの飜訳《ほんやく》を愛読して自分で作ってみたものだアね、今日《こんにち》の新体詩人から見ると僕は先輩だアね」
「僕も新体詩なら作ったことがあるよ」と松木が今度は少し乗地《のりじ》になって言った。
「ナーニ僕だって二ツ三ツ作《やっ》たものサ」と井山が負けぬ気になって真面目で言った。
「綿貫君、君はどうだね?」と竹内が訊ねた。
「イヤお恥しいことだが僕は御存知の女気《おんなけ》のない通り詩人気は全くなかった、『権利義務』で一貫して了った、どうだろう僕は余程俗骨が発達してるとみえる!」と綿貫は頭を撫《なで》てみた。
「イヤ僕こそ甚《はなは》だお恥しい話だがこれで矢張り作《やっ》たものだ、そして何かの雑誌に二ツ三ツ載せたことがあるんだ! ハッハッハッハッハッ」
「ハッハッハッハッハッ」と一同が噴飯《ふきだ》して了った。
「そうすると諸君は皆詩人の古手なんだね、ハッハッハッハッハッ奇談々々!」と綿貫が叫んだ。
「そうか、諸君も作《やっ》たのか、驚ろいた、その昔は皆《みん》な馬鈴薯党なんだね」と上村は大《おおい》に面目を施こしたという顔色《かおつき》。
「お話の先を願いたいものです」と岡本は上村を促がした。
「そうだ、先をやり給え!」と近藤は殆《ほとん》ど命令するように言った。
「宜《よろ》しい! それから僕は卒業するや一年ばかり東京でマゴマゴしていたが、断然と北海道へ行ったその時の心持といったら無いね、何だかこう馬鹿野郎! というような心持がしてねエ、上野の停車場《ステーション》で汽車へ乗って、ピューッと汽笛が鳴って汽車が動きだすと僕は窓から頭を出して東京の方へ向いて唾《つばき》を吐きかけたもんだ。そして何とも言えない嬉《うれ》しさがこみ上げて来て人知れずハンケチで涙を拭《ふ》いたよ真実《ほんと》に!」
「一寸《ちょっ》と君、一寸と『馬鹿野郎!』というような心持というのが僕には了解が出来ないが……そのどういうんだね?」と権利義務の綿貫が真面目で訊ねた。
「唯《た》だ東京の奴等《やつら》を言ったのサ、名利《みょうり》に汲々《きゅうきゅう》としているその醜態《ざま》は何だ! 馬鹿野郎! 乃公《おれ》を見ろ! という心持サ」と上村もまた真面目で註解《ちゅうかい》を加えた。
「それから道行《みちゆき》は抜にして、ともかく無事に北海道は札幌へ着いた、馬鈴薯の本場へ着いた。そして苦もなく十万坪の土地が手に入った。サアこれからだ、所謂《いわゆ》る額に汗するのはこれからだというんで直《ただち》に着手したねエ。尤《もっと》も僕と最初から理想を一にしている友人、今は矢張《やっぱり》僕と同じ会社へ出ているがね、それと二人で開墾事業に取掛ったのだ、そら、竹内君知っておるだろう梶原《かじわら》信太郎のことサ……」
「ウン梶原君が!? あれが矢張《やっぱり》馬鈴薯だったのか、今じゃア豚のように肥《ふと》ってるじゃアないか」と竹内も驚いたようである。
「そうサ、今じゃア鬼のような顔《つら》
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