《た》べられませんものを!」と言った上村の顔は兎《うさぎ》のようであった。
「ハハハハビフテキじゃアあるまいし!」と竹内は大口を開けて笑った。
「否《いや》ビフテキです、実際はビフテキです、スチューです」
「オムレツかね!」と今まで黙って半分眠りかけていた、真紅《まっか》な顔をしている松木、坐中で一番年の若そうな紳士が真面目《まじめ》で言った。
「ハッハッハッハッ」と一坐が噴飯《ふき》だした。
「イヤ笑いごとじゃアないよ」と上村は少し躍起《やっき》になって、
「例えてみればそんなものなんで、理想に従がえば芋《いも》ばかし喰《く》っていなきゃアならない。ことによると馬鈴薯《いも》も喰えないことになる。諸君は牛肉と馬鈴薯《いも》とどっちが可《い》い?」
「牛肉が可いねエ!」と松木は又た眠むそうな声で真面目に言った。
「然しビフテキに馬鈴薯《いも》は附属物《つきもの》だよ」と頬髭《ほおひげ》の紳士が得意らしく言った。
「そうですとも! 理想は則《すなわ》ち実際の附属物《つきもの》なんだ! 馬鈴薯《いも》も全《まる》きり無いと困る、しかし馬鈴薯ばかりじゃア全く閉口する!」
と言って、上村はやや満足したらしく岡本の顔を見た。
「だって北海道は馬鈴薯《じゃがいも》が名物だって言うじゃアありませんか」と岡本は平気で訊《たず》ねた。
「その馬鈴薯なんです、僕はその馬鈴薯には散々|酷《ひど》い目に遇《あ》ったんです。ね、竹内君は御存知ですが僕はこう見えても同志社の旧《ふる》い卒業生なんで、矢張《やはり》その頃は熱心なアーメンの仲間で、言い換ゆれば大々的馬鈴薯党だったんです!」
「君が?」とさも不審そうな顔色《かおつき》で井山がしょぼしょぼ眼《まなこ》を見張った。
「何も不思議は無いサ、その頃はウラ若いんだからね、岡本君はお幾歳《いくつ》かしらんが、僕が同志社を出たのは二十二でした。十三年も昔なんです。それはお目に掛けたいほど熱心なる馬鈴薯党でしたがね、学校に居る時分から僕は北海道と聞くと、ぞくぞくするほど惚《ほ》れていたもんで、清教徒《ピュリタン》を以《もっ》て任じていたのだから堪《たま》らない!」
「大変な清教徒《ピュリタン》だ!」と松木が又た口を入れたのを、上村は一寸《ちょっ》と腮《あご》で止めて、ウイスキーを嘗《な》めながら
「断然この汚《けが》れたる内地を去って、北海道自由の天地に投じようと思いましたね」と言った時、岡本は凝然《じっ》と上村の顔を見た。
「そしてやたらに北海道の話を聞いて歩いたもんだ。伝道師の中《うち》に北海道へ往《い》って来たという者があると直ぐ話を聴きに出掛けましたよ。ところが又先方は甘《うま》いことを話して聞かすんです。やれ自然《ネーチュール》がどうだの、石狩川《いしかりがわ》は洋々とした流れだの、見渡すかぎり森又た森だの、堪ったもんじゃアない! 僕は全然《すっかり》まいッちまいました。そこで僕は色々と聞きあつめたことを総合して如此《こんな》ふうな想像を描いていたもんだ。……先ず僕が自己の額に汗して森を開き林を倒し、そしてこれに小豆《あずき》を撒《ま》く、……」
「その百姓が見たかったねエハッハッハッハッハッハッ」と竹内は笑いだした。
「イヤ実地|行《や》ったのサ、まア待ち給え、追い追い其処《そこ》へ行くから……、その内にだんだんと田園が出来て来る、重《おも》に馬鈴薯《じゃがいも》を作る、馬鈴薯さえ有りゃア喰うに困らん……」
「ソラ馬鈴薯が出た!」と松木は又た口を入れた。
「其処で田園の中央《まんなか》に家がある、構造は極《きわ》めて粗末だが一見米国風に出来ている、新英洲《ニューイングランド》殖民地時代そのままという風に出来ている、屋根がこう急勾配《きゅうこうばい》になって物々しい煙突が横の方に一ツ。窓を幾個《いくつ》附けたものかと僕は非常に気を揉《も》んだことがあったッけ……」
「そして真個《ほんと》にその家が出来たのかね」と井山は又しょぼしょぼ眼《まなこ》を見張った。
「イヤこれは京都に居た時の想像だよ、窓で気を揉んだのは……そうだそうだ若王寺《にゃくおうじ》へ散歩に往って帰る時だった!」
「それからどうしました?」と岡本は真面目で促がした。
「それから北の方へ防風林を一|区劃《くかく》、なるべくは林を多く取って置くことにしました。それから水の澄み渡った小川がこの防風林の右の方からうねり出て屋敷の前を流れる。無論この川で家鴨《あひる》や鵞鳥《がちょう》がその紫の羽や真白な背を浮べてるんですよ。この川に三寸厚サの一枚板で橋が懸《か》かっている。これに欄干を附けたものか附けないものかと色々工夫したが矢張り附けないほうが自然だというんで附けないことに定《さだ》めました……まア構造はこんなものですが、僕の想像はこれで
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