をして、血のたれるビフテキを二口に喰って了うんだ。ところが先生僕と比較すると初《はじめ》から利口であったねエ、二月ばかりも辛棒していたろうか、或《ある》日こんな馬鹿気たことは断然|止《よそ》うという動議を提出した、その議論は何も自からこんな思をして隠者になる必要はない自然と戦うよりか寧《むし》ろ世間と格闘しようじゃアないか、馬鈴薯よりか牛肉の方が滋養分が多いというんだ。僕はその時|大《おおい》に反対した、君|止《よ》すなら止せ、僕は一人でもやると力味《りき》んだ。すると先生やるなら勝手にやり給え、君もも少しすると悟るだろう、要するに理想は空想だ、痴人の夢だ、なんて捨台辞《すてぜりふ》を吐いて直ぐ去《い》って了った。取残された僕は力味《りき》んではみたものの内内《ないない》心細かった、それでも小作人の一人二人を相手にその後、三月ばかり辛棒したねエ。豪《えら》いだろう!」
「馬鹿なんサ!」と近藤が叱《しか》るように言った。
「馬鹿? 馬鹿たア酷だ! 今から見れば大馬鹿サ、然しその時は全く豪かったよ」
「矢張《やっぱり》馬鹿サ、初から君なんかの柄にないんだ、北海道で馬鈴薯ばかり食《くお》うなんていう柄じゃアないんだ、それを知らないで三月も辛棒するなア馬鹿としか言えない!」
「馬鹿なら馬鹿でもよろしいとして、君のいう『柄にない』ということは次第に悟って来たんだ。難有《ありがた》いことには僕に馬鈴薯の品質《がら》が無かったのだ。其処《そこ》で夏も過ぎて楽しみにしていた『冬』という例の奴が漸次《だんだん》近づいて来た、その露払《つゆはらい》が秋、第一秋からして思ったよりか感心しなかったのサ、森《しん》とした林の上をパラパラと時雨《しぐれ》て来る、日の光が何となく薄いような気持がする、話相手はなしサ食うものは一粒|幾価《いくら》と言いそうな米を少しばかりと例の馬の鈴、寝る処《ところ》は木の皮を壁に代用した掘立小屋」
「それは貴様《あなた》覚悟の前だったでしょう!」と岡本が口を入れた。
「其処ですよ、理想よりか実際の可《い》いほうが可いというのは。覚悟はしていたものの矢張《やは》り余り感服しませんでしたねエ。第一、それじゃア痩《や》せますもの」
 上村は言って杯で一寸と口を湿《しめ》して
「僕は痩せようとは思っていなかった!」
「ハッハッハッハッハッハッ」と一同《みんな》笑いだした。
「そこで僕はつくづく考えた、なるほど梶原の奴の言った通りだ、馬鹿げきっている、止そうッというんで止しちまったが、あれであの冬を過ごしたら僕は死《しん》でいたね」
「其処でどういうんです、貴様の目下《もっか》のお説は?」と岡本は嘲《あざけ》るような、真面目な風で言った。
「だから馬鈴薯には懲々《こりごり》しましたというんです。何でも今は実際主義で、金が取れて美味《うま》いものが喰えて、こうやって諸君と煖炉《ストーブ》にあたって酒を飲んで、勝手な熱を吹き合う、腹が減《すい》たら牛肉を食う……」
「ヒヤヒヤ僕も同説だ、忠君愛国だってなんだって牛肉と両立しないことはない、それが両立しないというなら両立さすことが出来ないんだ、其奴《そいつ》が馬鹿なんだ」と綿貫は大に敦圉《いきま》いた。
「僕は違うねエ!」と近藤は叫んだ、そして煖炉を後に椅子へ馬乗になった。凄《すご》い光を帯びた眼で坐中を見廻しながら
「僕は馬鈴薯党でもない、牛肉党でもない! 上村君なんかは最初、馬鈴薯党で後に牛肉党に変節したのだ、即ち薄志弱行だ、要するに諸君は詩人だ、詩人の堕落したのだ、だから無暗《むやみ》と鼻をぴくぴくさして牛《うし》の焦《こげ》る臭《におい》を嗅《か》いで行《ある》く、その醜体《ざま》ったらない!」
「オイオイ、他人《ひと》を悪口する前に先ず自家の所信を吐くべしだ。君は何の堕落なんだ」と上村が切り込んだ。
「堕落? 堕落たア高い処から低い処へ落ちたことだろう、僕は幸《さいわい》にして最初から高い処に居ないからそんな外見《みっとも》ないことはしないんだ! 君なんかは主義で馬鈴薯を喰ったのだ、嗜《す》きで喰ったのじゃアない、だから牛肉に餓《う》えたのだ、僕なんかは嗜きで牛肉を喰うのだ、だから最初から、餓えぬ代り今だってがつがつしない、……」
「一向要領を得ない!」と上村が叫けんだ。近藤は直《ただち》に何ごとをか言い出さんと身構をした時、給使《きゅうじ》の一人がつかつかと近藤の傍《そば》に来てその耳に附いて何ごとをか囁《ささや》いた。すると
「近藤は、この近藤はシカク寛大なる主人ではない、と言ってくれ!」と怒鳴った。
「何だ?」と坐中の一人が驚いて聞いた。
「ナニ、車夫の野郎、又た博奕《ばくち》に敗けたから少し貸してくれろと言うんだ。……要領を得ないたア何だ! 大に要領を得ているじゃアないか
前へ 次へ
全10ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング