って来な、」と弁公景気よく言って、土間を探り、下駄を拾って渡した。
 そこで文公はやっと宿を得て、二人の足のすそに丸くなった。親父《おやじ》も弁公も昼間の激しい労働で熟睡したが文公は熱と咳《せき》とで終夜苦しめられ、明け方近くなってやっと寝入った。
 短夜《みじかよ》の明けやすく、四時半には弁公引き窓をあけて飯をたきはじめた。親父もまもなく起きて身じたくをする。
 飯ができるや、まず弁公はその日の弁当、親父と自分との一度分をこしらえる。終わって二人は朝飯を食いながら親父は低い声で、
「この若者《わかいの》はよっぽどからだを痛めているようだ。きょうは一日そっとしておいて仕事を休ますほうがよかろう。」
 弁公はほおばって首を縦に二三度振る。
「そして出がけに、飯もたいてあるから勝手に食べて一日休めと言え。」
 弁公はうなずいた、親父は一段声を潜めて、
「他人事《ひとごと》と思うな、おれなんぞもう死のうと思った時、仲間の者に助けられたなア一度や二度じゃアない。助けてくれるのはいつも仲間のうちだ、てめえもこの若者《わかいの》は仲間だ、助けておけ。」
 弁公は口をもごもごしながら親父の耳に口を寄せて、
「でも文公は長くないよ。」
 親父は急に箸《はし》を立てて、にらみつけて、
「だから、なお助けるのだ。」
 弁公はまたもすなおにうなずいた。出がけに文公を揺り起こして、
「オイちょっと起きねえ、これから、おいらは仕事に出るが、兄きは一日休むがいい。飯もたいてあるからナア、イイカ留守を頼んだよ。」
 文公は不意に起こされたので、驚いて起き上がりかけたのを弁公が止めたので、また寝て、その言うことを聞いてただうなずいた。
 あまり当てにならない留守番だから、雨戸を引きよせて親子は出て行った。文公は留守居と言われたのですぐ起きていたいと思ったが、ころがっているのがつまり楽なので、十時ごろまで目だけさめて起き上がろうともしなかったが、腹がへったので、苦しいながら起き直って、飯を食ってまたごろり[#「ごろり」に傍点]として、夢うつつで正午近くなるとまた腹がへる。それでまた食ってごろついた。
 弁公親子はある親分について市の埋め立て工事の土方をかせいでいたのである。弁公は堀《ほり》を埋める組、親父《おやじ》は下水用の土管を埋めるための深いみぞを掘る組。それでこの日は親父はみぞを掘っていると、
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