午後三時ごろ、親父のはね上げた土が、おりしも通りかかった車夫《くるまひき》のすねにぶつかった。この車夫《くるまひき》は車も衣装《みなり》も立派で、乗せていた客も紳士であったが、いきなり人車《くるま》を止めて、「何をしやアがるんだ、」と言いさま、みぞの中の親父に土の塊《かたまり》を投げつけた。
「気をつけろ、間抜けめ」と言うのが捨てぜりふで、そのまま行こうとすると、親父は承知しない。
「この野郎!」と言いさま往来にはい上がって、今しもかじ棒を上げかけている車夫《くるまひき》に土を投げつけた。そして、
「土方だって人間だぞ、ばかにしやアがんな、」と叫んだ。
車夫《くるまひき》は取って返し、二人はつかみあいを初めたが、一方は血気の若者ゆえ、苦もなく親父《おやじ》をみぞに突き落とした。落ちかけた時調子の取りようが悪かったので、棒が倒れるように深いみぞにころげこんだ。そのため後脳《こうのう》をひどく打ち肋骨《ろっこつ》を折って親父は悶絶《もんぜつ》した。
見る間に付近に散在していた土方が集まって来て、車夫《くるまひき》はなぐられるだけなぐられ、その上交番に引きずって行かれた。
虫の息の親父は戸板に乗せられて、親方と仲間の土方二人と、気抜けのしたような弁公とに送られて家《うち》に帰った。それが五時五分である。文公はこの騒ぎにびっくりして、すみのほうへ小さくなってしまった。まもなく近所の医者が来る事は来た。診察の型だけして「もう脈がない。」と言ったきり、そこそこに行ってしまった。
「弁公しっかりしな、おれがきっとかたきを取ってやるから。」と親方は言いながら、財布《さいふ》から五十銭銀貨を三四枚取り出して「これで今夜は酒でも飲んで通夜《つや》をするのだ、あすは早くからおれも来て始末をしてやる。」
親方の行ったあとで今まで外に立っていた仲間の二人はともかく内へはいった。けれどもすわる所がない。この時弁公はいきなり文公に、
「親父は車夫《くるまひき》の野郎とけんかをして殺されたのだ。これをやるから木賃《きちん》へ泊まってくれ。今夜は仲間と通夜《つや》をするのだから。」と、もらった銀貨一枚を出した。文公はそれを受け取って、
「それじゃア親父さんの顔を一度見せてくれ。」
「見ろ。」と言って、弁公はかぶせてあったものをとったが、この時はもう薄暗いので、はっきりしない。それでも文公はじ
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