》げて泣《な》いて、それで飽《あ》き足《た》らず起上《おきあが》つて其處《そこ》らの石《いし》を拾《ひろ》ひ、四方八方[#ルビ抜けはママ]に投《な》げ付《つ》けて居《ゐ》た。
 かう暴《あば》れて居《ゐ》るうちにも自分《じぶん》は、彼奴《きやつ》何時《いつ》の間《ま》にチヨーク畫《ぐわ》を習《なら》つたらう、何人《だれ》が彼奴《きやつ》に教《をし》へたらうと其《そ》ればかり思《おも》ひ續《つゞ》けた。
 泣《な》いたのと暴《あば》れたので幾干《いくら》か胸《むね》がすくと共《とも》に、次第《しだい》に疲《つか》れて來《き》たので、いつか其處《そこ》に臥《ね》てしまひ、自分《じぶん》は蒼々《さう/\》たる大空《おほぞら》を見上《みあ》げて居《ゐ》ると、川瀬《かはせ》の音《おと》が淙々《そう/\》として聞《きこ》える。若草《わかくさ》を薙《な》いで來《く》る風《かぜ》が、得《え》ならぬ春《はる》の香《か》を送《おく》つて面《かほ》を掠《かす》める。佳《い》い心持《こゝろもち》になつて、自分《じぶん》は暫時《しばら》くぢつとして居《ゐ》たが、突然《とつぜん》、さうだ自分《じぶん》もチヨークで畫《か》いて見《み》やう、さうだといふ一|念《ねん》に打《う》たれたので、其儘《そのまゝ》飛《と》び起《お》き急《いそ》いで宅《うち》に歸《か》へり、父《ちゝ》の許《ゆるし》を得《え》て、直《す》ぐチヨークを買《か》ひ整《とゝの》へ畫板《ぐわばん》を提《ひつさ》げ直《す》ぐ又《また》外《そと》に飛《と》び出《だ》した。
 この時《とき》まで自分《じぶん》はチヨークを持《も》つたことが無《な》い。どういふ風《ふう》に書《か》くものやら全然《まるで》不案内《ふあんない》であつたがチヨークで書《か》いた畫《ゑ》を見《み》たことは度々《たび/\》あり、たゞこれまで自分《じぶん》で書《か》かないのは到底《たうてい》未《ま》だ自分《じぶん》どもの力《ちから》に及《およ》ばぬものとあきらめて居《ゐ》たからなので、志村《しむら》があの位《くら》ゐ書《か》けるなら自分《じぶん》も幾干《いくら》か出來《でき》るだらうと思《おも》つたのである。
 再《ふたゝ》び先《さき》の川邊《かはゞた》へ出《で》た。そして先《ま》づ自分《じぶん》の思《おも》ひついた畫題《ぐわだい》は水車《みづぐるま》、この水車《みづぐる
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