いに何事をもなさず何をしでかすることなく一生|空《むな》しく他《ひと》の厄介で終わるということは彼にとって多少の苦痛であった。
 希望なき安心の遅鈍なる生活もいつしか一月ばかり経《た》って、豊吉はお花の唱歌を聞きながら、居眠ってばかりいない、秋の夕空晴れて星の光も鮮《あざ》やかなる時、お花に伴われてかの小川の辺《ほとり》など散歩し、お花が声低く節《ふし》哀れに唱うを聞けばその沈みはてし心かすかに躍りて、その昔、失敗しながらも煩悶《はんもん》しながらもある仕事を企ててそれに力を尽くした日の方が、今の安息無事よりも願わしいように感じた。
 かれは思った、他郷《よそ》に出て失敗したのはあながちかれの罪ばかりでない、実にまた他郷の人の薄情《つれな》きにもよるのである、さればもしこのような親切な故郷の人々の間にいて、事を企てなば、必ず多少の成功はあるべく、以前のような形《かた》なしの失敗はあるまいと。
 かれは自分を知らなかった。自分の影がどんなに薄いかを知らなかった。そして喜んで私塾設立の儀を承諾した、さなきだにかれは自分で何らの仕事をか企てんとしていて言い出しにくく思っていたところであるから
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