てしまった。兄貫一の子は三人あって、お花というが十五歳で、その次が前《さき》の源造、末が勇《いさむ》という七歳《ななつ》のかあいい児《こ》である。
お花は叔父を慰め、源造は叔父さんと遊び、勇は叔父さんにあまえた。豊吉はお花が土蔵《くら》の前の石段に腰掛けて唱《うた》う唱歌をききながら茶室《はなれ》の窓に倚《よ》りかかって居眠り、源造に誘われて釣りに出かけて居眠りながら釣り、勇の馬になッて、のそのそと座敷をはいまわり、馬の嘶《な》き声を所望《しょもう》されて、牛の鳴くまねと間違えて勇に怒《おこ》られ、家《うち》じゅうを笑わせた。
かかる際《ひま》にお花と源造に漢書の素読《そどく》、数学英語の初歩などを授けたが源因《もと》となり、ともかく、遊んでばかりいてはかえってよくない、少年《こども》を集めて私塾《しじゅく》のようなものでも開いたら、自分のためにも他人《ひと》のためにもなるだろうとの説が人々の間に起こって、兄も無論賛成してこの事を豊吉に勧めてみた。
豊吉は同意した。そして心ひそかに歓《よろこ》んだ、その理由《わけ》は、かれ初めより無事に日を送ることをよろこばなかった、のみならずつ
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