との影が突然消えたと思うと、その曲がり角のすぐ上の古木《こぼく》、昔のままのその枝ぶり、蝉《せみ》のとまり[#「とまり」に傍点]どころまでが昔そのままなる――豊吉は『なるほど、今の児《こ》はあそこへ行くのだな』とうれしそうに笑ッて梅の樹《き》を見上げて、そして角を曲がった。
川柳《かわやなぎ》の陰になった一|間《けん》幅ぐらいの小川の辺《ほとり》に三、四人の少年《こども》が集まっている、豊吉はニヤニヤ笑って急いでそこに往《い》った。
大川の支流のこの小川のここは昔からの少年《こども》の釣り場である。豊吉は柳の陰に腰掛けて久しぶりにその影を昔の流れに映した。小川の流れはここに来て急に幅広くなって、深くなって静かになって暗くなっている。
柳の間をもれる日の光が金色《こんじき》の線を水の中《うち》に射て、澄み渡った水底《みなぞこ》の小砂利《じゃり》が銀のように碧玉《たま》のように沈んでいる。
少年《こども》はかしこここの柳の株に陣取って釣っていたが、今来た少年《こども》の方を振り向いて一人の十二、三の少年《こども》が
『檜山《ひやま》! これを見ろ!』と言って腹の真っ赤な山※[#「魚+條」、第4水準2−93−74]《やまばえ》の尺にも近いのを差し上げて見せた。そして自慢そうに、うれしそうに笑った。
『上田、自慢するなッ』と一人の少年《こども》が叫んだ。
豊吉はつッと立ち上がって、上田と呼ばれた少年《こども》の方を向いて眉《まゆ》に皺《しわ》を寄せて目を細くしてまぶしそうに少年《こども》の顔を見た。そしてそのそばに往《い》った。
『どれ、今のをお見せなさい、』と豊吉は少年《こども》の顔を見ながら言ッた。
少年《こども》はいぶかしそうに豊吉を見て、不精無精《ふしょうぶしょう》に籠《かご》の口を豊吉の前に差し向けた。
『なるほど、なるほど。』豊吉はちょっと籠《かご》の中を見たばかりで、少年《こども》の顔をじっと見ながら『なるほど、なるほど』といって小首を傾けた。
少年《こども》は『大きいだろう!』と鋭く言い放ってひったくるように籠を取って、水の中に突き込んだ。そして水の底をじっと見て、もう傍《かたわ》らに人あるを忘れたようである。
豊吉はあきれてしまった。『どうしても阿兄《あにき》の子だ、面相《おもざし》のよく似ているばかりか、今の声は阿兄《あにき》にそっくりだ』となおも少年《こども》の横顔を見ていたが、画《え》だ、まるで画であった! この二人《ふたり》のさまは。
川柳は日の光にその長い青葉をきらめかして、風のそよぐごとに黒い影と入り乱れている。その冷ややかな陰の水際《みぎわ》に一人の丸く肥《ふと》ッた少年《こども》が釣りを垂《た》れて深い清い淵《ふち》の水面を余念なく見ている、その少年《こども》を少し隔《はな》れて柳の株に腰かけて、一人の旅人、零落と疲労をその衣服《きもの》と容貌《かお》に示し、夢みるごときまなざしをして少年《こども》をながめている。小川の水上《みなかみ》の柳の上を遠く城山《じょうざん》の石垣《いしがき》のくずれたのが見える。秋の初めで、空気は十分に澄んでいる、日の光は十分に鮮やかである。画だ! 意味の深い画である。
豊吉の目は涙にあふれて来た。瞬《またた》きをしてのみ込んだ時、かれは思わはずその涙をはふり落とした。そして何ともいえない懐《ゆか》しさを感じて、『ここだ、おれの生まれたのはここだ、おれの死ぬのもここだ、ああうれしいうれしい、安心した』という心持ちが心の底からわいて来て、何となく、今までの長い間の辛苦|艱難《かんなん》が皮のむけたように自分を離れた心地がした。
『お前のおとっさんの名はなんていうかね』と豊吉は親しげに少年《こども》に近づいた。
少年《こども》は目を丸くして豊吉を見た。豊吉はなおも親しげに、
『貫一《かんいち》というだろう?』
少年《こども》は驚いて豊吉の顔をじっと見つめた。豊吉は少し笑いを含んで、
『貫一さんは丈夫《たっしゃ》かね。』
『達者《たっしゃ》だ。』
『それで安心しました、ああそれで安心しました。お前は豊吉という叔父さんのことをおとっさんから聞いたことがあろう。』
少年《こども》はびっくりして立ちあがった。
『お前の名は?』
『源造《げんぞう》。』
『源造、おれはお前の叔父さんだ、豊吉だ。』
少年《こども》は顔色を変えて竿《さお》を投げ捨てた。そして何も言わず、士族屋敷の方へといっさんに駆けていった。
ほかの少年《こども》らも驚いて、豊吉を怪しそうに見て、急に糸を巻くやら籠《かご》を上げるやら、こそこそと逃げていってしまった。
豊吉はあきれ返って、ぼんやり立って、少年《こども》らの駆けて行く後ろ影を見送った。
『上田の豊さんが帰ったそうだ』と彼を記憶
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